シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

2021-01-01から1年間の記事一覧

虔十少年家族のお話

社会学の目でみると、本間さんの論考における虔十少年と彼の家族との関係に関する考察には興味深いものがあります。本間さんは、ご自分の仕事柄から、虔十少年について次のような見方を提示されています。すなわち、それは、 「みんなにバカバカと言われた虔…

虔十公園林のお話

ここで横道にそれますが、この10月20日に、岩手大学地域社会教育推進室が主催している「いわて生涯学習士育成講座」の「地元学コース」で話をする機会をいただきました。このブログで宮沢賢治さんの生き方について綴ってきたことがキッカケとなってのことか…

家族の大切さへの気づき

病床の中のこれまでの自分の生き方を振り返る思索において、宮沢さんは人間の幸福にとって家族の大切さをあらためて感じるようになっていったのではないかと思います。それは、二つの道を通って実感していったように思われます。 その第一の道は、東北砕石工…

ほんとうの幸せを求めて

宮沢さんが仏国土の建設でめざしたものとは、「みんなの幸せ」を実現するというものであったと言われています。また、宮沢さんは、「ほんとうの幸福」と何かを探求しつづけていたとも言われています。では、宮沢さんは、「みんなの幸せ」を実現するための道…

歓迎される喜びを力にして

宮沢さんが自分の肉体的、精神的健康を害してでも石灰肥料のセールスをしつづけるよう突き動かしていたものとは何だったのでしょうか。基本は、宮沢さんが生きていた時代の冷害をはじめとする自然災害に打ちのめされていた農業生産の状況を何としても改善し…

肥料セールスマンにとって辛く険しい社会的および市場的環境

宮沢さんが東北砕石工場のセールスマンとして販路開拓の旅にでたときの客観的環境は非常に厳しいものがあったようです。そのことに関しては、宮沢さん自身ある程度認識はしていたようです。 東北砕石工場の鈴木さんへの販路開拓に関する献策の中で、「今後農…

東北砕石工場のサラリーマンになる

宮沢さんは人生最後の活動として、東北砕石工場の営業活動を行っています。そしてそれは宮沢さんにとって大変厳しく苛酷なものでした。その活動の中で宮沢さんは病に倒れ、帰えらぬ人になってしまったといっても過言ではないとさえ思えるのです。 では宮沢さ…

自然との闘いから宮沢賢治さんが学んだこととは(3)

宮沢さんは苛酷な自然との闘いに敗れたことを認め、再びトルストイさんの人生論から学び、それまでの自分のあり方を痛切に反省していました。それは、他者の目から見てとてもとても痛々しく見えるのでした。しかし、宮沢さんはその痛切な反省を通し、新たな…

自然との闘いから宮沢賢治さんが学んだこととは(2)

宮沢さんの深く後悔し、反省することで新たな生きる道を発見しようとする苦闘を導いたものは、再びトルストイさんの人生と宗教に関する議論ではなかったかと推測します。その議論とは、「われわれのように知的労働をしている特権階級の者たちの立場」を恐れ…

自然との闘いから宮沢賢治さんが学んだこととは(1)

宮沢さんが羅須地人協会で始めた肥料設計と営農相談、そして東北砕石工場での「セールスマン」としての活動は、それを意図して始めたのではないのですが、結果として天候不順という当時の猛威をふるう自然との闘いでした。そして、宮沢さんは自分が病に倒れ…

宮沢賢治さんの肥料設計や営農相談という仕事

宮沢さんの肥料設計や営農相談に関する諸活動については社会的にどのように評価されているのでしょうか。激しい毀誉褒貶の評価に分かれているようなのです。農業関係者、農業に知識のある人、または専門家の人たちの評価は厳しいものとなっているようです。 …

羅須地人協会を設立する

宮沢さんはいよいよ1926年3月に農学校を辞職し、農耕に従事し、自炊生活を開始します。6月には、『農民芸術概論要綱』を書いています。そして、8月、羅須地人協会を発足させるのです。同時に、無料の肥料設計事務所も設立しています。 宮沢さんはどのような…

宮沢賢治さんが考える「本統の百姓」とは?

「もう人は空を飛ぶし、地下も走る」(畑山博さん著『教師宮沢賢治のしごと』より)といういわゆる思考実験世界である四次元での主張ではなく、羅須地人協会で宮沢さんが実際どのような「しごと」をしたのだろうかという点から見れば、佐藤さんや鈴木さんの…

本統の百姓になるとは?

すでに言及してきたことですが、宮沢さんは、教え子や心友である保阪さんへの手紙の中で、農学校の教師を辞めて「本統の百姓」になると知らせています。そして、先行する宮沢さんをめぐる研究や「論」において、宮沢さんが言っている「本統の百姓」とはどの…

農学校教師を辞める(6)

農学校の教師の職を辞して具体的に何をするのかについて宮沢さんは、辞める以前から具体的な構想をもっていたのではないでしょうか。樺太で仕事をしている教え子に生温い教師の職を辞め「本統の百姓」になることを知らせた手紙の日付は、ほぼ辞める1年前に…

農学校教師を辞める(5)

菅原さんによれば、そもそも、宮沢さんは、「嘉内の進もうとする道が気になって仕方がな」かったのです。そして、「花巻農学校の教師となっていよいよ強く嘉内の進もうとした道を意識するようになった」のです。 その進もうとする道の具体化にあたっては、教…

農学校教師を辞める(4)

宮沢さんが農学校の教師生活をおくっていた時期というのは、第一次世界大戦後の恐慌の影響が続いていた時期でもあったのです。その影響により宮沢さんの教え子たちは就学継続や卒業後の就職の困難に直面していたのです。そして、宮沢さんは教え子たちのそう…

農学校教師を辞める(3)

1925年前後の時期、すでに言及したことなのですが、宮沢さんは静かな、しかし大きな時代変化の歴史的うねりの動きを感じていたのではないでしょうか。トルストイさんの代表作のひとつである『戦争と平和』の「エピローグ」の冒頭、次のように書きだしていま…

農学校教師を辞める(2)

なぜ宮沢さんは、1925年初頭ごろから自分の「進むべき道、生活の転換を考え始め」るようになっていったのでしょうか。まず『宮沢賢治思想と生涯 南へ走る汽車』の著者である柴田まどかさんの議論を参照してみようと思います。 柴田さんは、その点でまず、「…

農学校教師を辞める(1)

1926年3月、宮沢さんは、花巻農学校を依願退職し、教師を辞めます。経済的にも、人間関係的にも、そして精神的にも、あれほど充実していた農学校の教師生活をなぜ退かなければならなかったのでしょうか。その問いには多くの人が関心を寄せ、その謎を探究して…

農学校最後の二年の教師生活の意義とは(2)

ところで宮沢さんは宮沢さんが生きていた時代の社会の動きをどのように見ていたのでしょうか。トルストイさんの影響を受け、他の人の労働に寄生して生きている人たちが嫌悪され、打倒され、自らの労働によって生き、生活している人たちが主人公となる社会が…

農学校最後の二年の教師生活の意義とは(1)

宮沢さんの農学校教師生活における、とくに最後の二年間の生活は、宮沢さんの仏国土建設の夢の実現のためにどのような意義をもっていたと考えたらよいのでしょうか。そのことを推測していくために、まず『春と修羅』第二集の序の記述を参照したいと思います…

『春と修羅』を読んでみる(9)

最愛の妹トシさんの死に向き合ったことで、宮沢さんの心境にはどのような変化が起きていったのでしょうか。今度はけっして急激なものではありませんが、徐々に、しかし確実に仏国土建設に向かっての新しい挑戦に歩みださなければという気持ちが高まっていっ…

『春と修羅』を読んでみる(8)

ところでトシさんは、宮沢さんから見て、どのようにして死での旅路に旅立とうとしていたのでしょうか。そのとき兄の宮沢さんとそれ以外の家族の人たちの気持ちをどのようにくみとっていたのでしょうか。「永訣の朝」にそれらのことが表現されています。 その…

『春と修羅』を読んでみる(7)

死後の世界ではない、今生きているこの世に仏国土、すなわち「無量寿経」に云う「かの〈幸いあるところ〉という世界」を建設しようとする人は死後どのようになっていくものなのでしょうか。 この世は無常であり、誰も死を免れることのできる人はいません。そ…

『春と修羅』を読んでみる(6)

宮沢さんは、最愛の妹であるトシさんの死に直面し、『春と修羅』に掲載されている「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」、「青森挽歌」、そして「オホーツク挽歌」という一連の作品を創作しています。それら一連の作品群は、『春と修羅』への厳しい批評を…

『春と修羅』を読んでみる(5)

宮沢さんは死についてどのように考えていたのでしょうか。『なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学』の著者であるロバート・ライトさんは、「人間の苦しみに対する仏教の診断が根本的に正しいこと、その処方箋(しょほうせん)はきわめて有…

『春と修羅』を読んでみる(4)

「すべてがあるがごとくにあり」ということを心掛けている観察法に依る心象スケッチがどのようにして宇宙意志の把握につながっていくのでしょうか。それは、鎌田さんが言う第六感ではなさそうです。むしろ「わたしたちのような凡夫」はどのようにしたら宇宙…

『春と修羅』を読んでみる(3)

『春と修羅』創作の方法とは宮沢さんが日々の生活の中で感じている心象の記録、すなわち「心象スケッチ」です。ところで、その心象とはあくまで宮沢さんの主観の世界ですので、それで普通は客観的世界の法則と考えられる宇宙法則というものを明らかにすると…

『春と修羅』を読んでみる(2)

『春と修羅』を読んでいてあらためて強く感じることは、心友の保阪さんと妹のトシさんの二人は、やはり宮沢さんにとって特別の存在であったのだなということです。宮沢さんと二人との関係は、恋する心になぞられて表現されています。実際に、宮沢さんは二人…