シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

自然との闘いから宮沢賢治さんが学んだこととは(2)

宮沢さんの深く後悔し、反省することで新たな生きる道を発見しようとする苦闘を導いたものは、再びトルストイさんの人生と宗教に関する議論ではなかったかと推測します。その議論とは、「われわれのように知的労働をしている特権階級の者たちの立場」を恐れ…

自然との闘いから宮沢賢治さんが学んだこととは(1)

宮沢さんが羅須地人協会で始めた肥料設計と営農相談、そして東北砕石工場での「セールスマン」としての活動は、それを意図して始めたのではないのですが、結果として天候不順という当時の猛威をふるう自然との闘いでした。そして、宮沢さんは自分が病に倒れ…

宮沢賢治さんの肥料設計や営農相談という仕事

宮沢さんの肥料設計や営農相談に関する諸活動については社会的にどのように評価されているのでしょうか。激しい毀誉褒貶の評価に分かれているようなのです。農業関係者、農業に知識のある人、または専門家の人たちの評価は厳しいものとなっているようです。 …

羅須地人協会を設立する

宮沢さんはいよいよ1926年3月に農学校を辞職し、農耕に従事し、自炊生活を開始します。6月には、『農民芸術概論要綱』を書いています。そして、8月、羅須地人協会を発足させるのです。同時に、無料の肥料設計事務所も設立しています。 宮沢さんはどのような…

宮沢賢治さんが考える「本統の百姓」とは?

「もう人は空を飛ぶし、地下も走る」(畑山博さん著『教師宮沢賢治のしごと』より)といういわゆる思考実験世界である四次元での主張ではなく、羅須地人協会で宮沢さんが実際どのような「しごと」をしたのだろうかという点から見れば、佐藤さんや鈴木さんの…