シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

農学校教師を辞める(3)

1925年前後の時期、すでに言及したことなのですが、宮沢さんは静かな、しかし大きな時代変化の歴史的うねりの動きを感じていたのではないでしょうか。トルストイさんの代表作のひとつである『戦争と平和』の「エピローグ」の冒頭、次のように書きだしていま…

農学校教師を辞める(2)

なぜ宮沢さんは、1925年初頭ごろから自分の「進むべき道、生活の転換を考え始め」るようになっていったのでしょうか。まず『宮沢賢治思想と生涯 南へ走る汽車』の著者である柴田まどかさんの議論を参照してみようと思います。 柴田さんは、その点でまず、「…

農学校教師を辞める(1)

1926年3月、宮沢さんは、花巻農学校を依願退職し、教師を辞めます。経済的にも、人間関係的にも、そして精神的にも、あれほど充実していた農学校の教師生活をなぜ退かなければならなかったのでしょうか。その問いには多くの人が関心を寄せ、その謎を探究して…

農学校最後の二年の教師生活の意義とは(2)

ところで宮沢さんは宮沢さんが生きていた時代の社会の動きをどのように見ていたのでしょうか。トルストイさんの影響を受け、他の人の労働に寄生して生きている人たちが嫌悪され、打倒され、自らの労働によって生き、生活している人たちが主人公となる社会が…