シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

2022-01-01から1年間の記事一覧

「人間性を働かせる場」を創造する試み

ここまでロバート・オウェンさんや宮沢さんの試みを「愛と博愛」に基礎をおいた労働者や百姓の人たちの人間らしい生活空間を創り出す試みとして同じ性格を有しているものとして議論してきました。 しかし、宮沢さんの作品である「ポラーノの広場」に限って言…

人間感情の成熟と歴史進歩

ロバート・オウェンさんや宮沢さんのような「愛や博愛」に基礎をおいた労働者や百姓の人たちへの働きかけの試みを「歴史進歩」との関りでどのように位置づけることができるのでしょうか。くりかえしになりますが、エンゲルスさんのそうした試みに対する批判…

人間的感情と歴史進歩

これまでエンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を少し回数を重ねて読んできました。その際の思いは、エンゲルスさんはなぜ、ロバート・オウェンさんの試みを、そしてそれは宮沢さんの生涯をかけた試みに通じるものなのですが、受け入れるこ…

怒りと憎しみの感情か、愛と博愛の感情か

これまでエンゲルスさんと宮沢さんを対比的に両者の言動を参照してきました。思いは共通するところがあるのに、その思いを実現するために歩もうとしていた道は真逆のものでした。どちらが正しく、どちらが間違っているのでしょうか。 社会学的に言うと、どち…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(9)

宮沢さんとエンゲルスさんとでは、それぞれが生きていた時代と社会にどのように向き合う生き方をしていたかに関してはまさしく真逆の姿勢でした。しかし、同時になぜそのような姿勢の生き方になったのかに関しては共通する面もあったと思います。 宮沢さんは…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(8)

ここでは、宮沢さんの「ポラーノの広場」におけるファゼーロさんたちの「産業組合」の試みを、エンゲルスさんはどのように論じただろうかという問いをたて、その問いに関して考察できればと思います。 またその考察は、宮沢さんの「ポラーノの広場」という作…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(7)

だれが、どのようにして資本主義社会の形成原理である「自由競争」を廃絶していくことができるのか、そしてその過程はどのような道筋をたどることになるのか、ということに関してエンゲルスさんは何も示してくれていません。 それは、労働者階級の人たちがや…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(6)

ではエンゲルスさんは、ブルジョアジー階級に対する労働者階級の「全面的な社会戦争」の勝利への道筋をどのように考えていたのでしょうか。それは、以下の道筋でした。 第一の段階は、労働者たち自身の「社会戦争」を戦い抜くための組織化です。第二の段階は…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(5)

エンゲルスさんが労働者階級の人たちが資本主義社会の政治的変革主体となり得る資質として重視しているのは、既成の社会秩序やその秩序から生じてくる思考法に憎しみと怒りをもっていること、それゆえ、それらから自由な存在となっているという要素です。 エ…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(4)

すでに確認してきたことですが、プロレタリア化する労働者階級の、社会づくりという視点から見たときの状態とは、エンゲルスさんによれば、社会秩序形成能力が欠如してしいるというものでした。 しかし、他方では、エンゲルスさんは、資本主義社会の社会秩序…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(3)

永遠につづくであろう動揺と変動という社会秩序による生活の不確実性と不安定化の深化から自然必然的に生じる犯罪の増加は、社会にどのような帰結をもたらすのでしょうか。エンゲルスさんによれば、社会の解体化と万人の万人に対する社会戦争の全面的な勃発…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(2)

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」という著作をどのような問題意識で読んだらよいのでしょうか。社会学の視点から言えば、第一に、「労働者階級の状態」の科学的研究の成果と「資本主義社会の変革主体形成」という社会づくり的課題の間…

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(1)

宮沢さんは、「ポラーノの広場」という作品において、自分自身の仏国土建設という夢をファゼーロさんたちの産業組合づくりに託すことができたのでしょうか。その問いに答えていくことは、宮沢さんがどのような根拠をもってファゼーロさんたちこそ仏国土建設…

羅須地人協会活動の挫折と「ポラーノの広場」(3)

「ポラーノの広場」という作品を社会学の目を通して見たときに興味を惹かれることがまだあります。それは、宮沢さんにとっては、仏国土建設はめざすべき夢でしたが、ファゼーロさんたちは自分たちの幸せ生活の風景を探し求めていたら、結果として宮沢さんが…

羅須地人協会活動の挫折と「ポラーノの広場」(2)

ファゼーロさんたちの新しい「ポラーノの広場」づくりとはどのようなものだったのでしょうか。その物語は、レオーノキューストさんが、「九月一日」の夕方、それまで行方不明となっていたファゼーロさんと再会するところから始まります。 行方不明になってい…

羅須地人協会活動の挫折と「ポラーノの広場」(1)

中野さんによれば、宮沢さんの「ポラーノの広場」という作品は、彼の羅須地人協会活動の挫折感の影響が色濃く表れており、彼の夢の敗北の文学であるということでした。しかし、本当にそのような理解だけでいいのでしょうか。そのことを考えてみたいと思いま…

宮沢賢治さんの人生から学ぶ

ここまで宮沢さんの歩んできた人生とその中で生み出した作品を、社会学の目を通して観察してきました。その過程で、とくに宮沢さんの生きる姿勢に関して、社会学者としてではなく現代社会を生きる一個人として印象深く学んだことがあります。 それはどんな状…

科学と宗教と直観と

現在私たちが生きている社会の中で生起している数々の出来事において、社会学的に見て関心を惹く出来事の一つは、ロシアによるウクライナ侵攻と、そこで繰り広げられているとても人間の心をもったものとは思えない蛮行の嵐が吹き荒れている姿なのではないで…

私という存在

宮沢さんについて書かれている書物は、読んでも読んでも尽きることがないものなのでしょう。次々と新しい書物に出会うことができます。しかも、面白いことに、新しい書物に出会うたびに、また新たに宮沢さんおよび彼の作品を論じる視点が現れてくるのです。…

岩手山が支える岩手の地と民

武器をもたずに立ち、平和と人権を築いていくための「試金石」たる覚悟をもって岩手の地に生きることを決心した高村さんは、その岩手県と岩手県の人々をどのように論じたのでしょうか。 なりよりも高村さんは、岩手県と岩手県の人々は必ずや戦後復興の立ち直…

高村光太郎さんと岩手県(3)

高村さんが言う「錬金術を究盡」するというのはどのような意味なのでしょうか。『高村光太郎論』の著者である中村さんによれば、高村さんは自分の修行時代から結婚後の生活まで、経済的には父である光雲さんに依存していたといいます。いわゆる父親にパラサ…

高村光太郎さんと岩手県(2)

高村さんは、稗貫郡太田村山口の山村で何を求め、どのような生活をしていたのでしょうか。『日本近代文学大系』に掲載されている年表によれば、それらのことについて、「夜具の肩に雪が積もる、山小屋の生活を続ける。また、村の分教場で『美の日本的源泉』…

高村光太郎さんと岩手県(1)

人は自分ではどうすることもできない理不尽な出来事に遭遇したとき、どのような生き方ができるのでしょうか。宮沢さんの人生を辿る旅をしていると、ふっとそんな問いが頭の中に浮かんできます。なぜならば、現在の世の中はあまりにも理不尽な出来事が多く起…

造園という仏国土建設活動

私ごとになりますが、昨(2021)年9月に、花巻市の宮沢賢治童話村で開催されている「童話村の森ライトアップ2021」のイベントを見にいきました。童話村の森と広場が色とりどりのライトに照らしだされ、夜の暗がりの中で森と広場が輝いて映しだされている美し…

盛岡の朝市とよいちという生活風景

ところで宮沢さんは仏国土に関してどのようなイメージをもっていたのでしょうか。それは想像にすぎませんが、宮沢さんにとっての仏国土とは、宇治の平等院鳳凰堂や平泉の中尊寺金色堂などの宗教的建築物が作りだす風景なのではなく、まして現在の社会主義国…

因果な関係性を乗り越えることはできるのでしょうか?

ここまで社会学の目で、宮沢さんのいくつかの童話作品を見てきました。それは、宮沢さんの童話作品のほんの一部のものにすぎませんが、それでも、宮沢さんが、仏国土建設のためには人間と自然とが、心から交歓し、交流する関係性を築かねばならないと考えて…

鹿踊りのほんとうの精神とは何なのだろう?

鹿踊りのほんとうの精神とは何かという問いに対する答えとして、まずこれまでも度々参照してきた草山万兎さんの見解を、今回もまた参照してみたいと思います。こうした問いを考察する際の草山さんの視点は「共生」です。 その視点でこの作品を読むと、作品の…

岩手県民の生活文化のはじまり、はじまり

宮沢さんは、人間をとりまく自然は、人間に関心をもち、できれば仲良くなりたい、人間たちに自分の存在に気をつかい、できればかまってほしいという願いをもっている存在であると考えていたように感じます。 またそうした自然のもっている気持ちや願いを分か…

岩手県社会のはじまり、はじまり(2)

森たちの許しを得て自分たちの社会づくりをはじめるという物語を、草山万兎さんは次のように絶賛します。 「この人と自然の関係についての賢治さんの思想が、これほど鮮やかに浮かびでてくる場面は、ほかにそうありません。そして、今高度な文明世界に生きて…

岩手県社会のはじまり、はじまり(1)

社会学は、私たちが生きているこの世界は主に人間の集団生活の歴史として創り出されてきたものと捉えます。そして、それは、決して平和的で、穏やかな過程としてあったのではなく、ときに目を覆いたくなるような悲惨な闘争の歴史的過程でもあったと理解して…