シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

2023-01-01から1年間の記事一覧

「〔二時がこんなに暗いのは〕」

宮沢さんは、自身が肥料設計した稲を次々と倒しながらうちつづく雷をともなう冷雨の中をさまよい歩いています。そのときに見た農民の人たちの生活の心象風景とはどのようなものだったのでしょうか。『春と修羅第三集』における「〔二時がこんなに暗いのは〕…

「〔もうはたらくな〕」(3)

ここで取り上げている宮沢さんの「〔もうはたらくな〕」という詩は、宮沢さんの肥料設計という活動が、(気候変動を含む)地域の自然および農家経営の実情を熟知し、それらへの対策および改善法として確実な見通しと自信をもって臨んだものではなかったこと…

「〔もうはたらくな〕」(2)

宮沢さんの父政次郎さんは、息子である賢治さんを傲慢であったと評していたと言われています。宮沢さんに興味をもち、宮沢さんに関する著書を読み、はじめてその指摘を目にしたとき、とても信じられませんでした。どのような意味で、政次郎さんは賢治さんの…

「〔もうはたらくな〕」(1)

この「〔もうはたらくな〕という作品は、『【新】校本宮澤賢治全集』の中の作品番号1088番の作品です。ここではこの作品の主題をどのようにとらえたらよいかについて考えていこうと思います。この点に関して、これまでも参照してきました旺文社文庫の『宮沢…

「和風は河谷いっぱいに吹く」

この「和風は河谷いっぱいに吹く」という作品も、宮沢さんが、自分が信じている宇宙世界を律している「透明な意志」の偉大な力に頼って、直面している困難な事態が一瞬で解決するような奇蹟が起こることを祈っている(願う)作品です。 奇蹟よ起これ、そして…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(9)

私たちが生きている宇宙世界におけるすべての存在は、相互に関係し合い、影響し合うことによって不断に変化しつづけています。それは、その根源には、その宇宙世界は、ビックバーンによる誕以来、いまだに急速なスピードで膨張しつづけているという事実があ…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(8)

羅須地人協会と肥料相談所の活動を精力的に展開していた1927年という年は、農業生産をめぐる宮沢さんの明暗を分ける心情が交差し、激しく揺れ動いた年でもあったのではないかと思います。祈り(願い)・希望と悲しみ・怒り・絶望という両極端な心情が激しく…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(7)

三澤さんは、これまで確認してきたように、自然および個々の農家の農業生産の様子を観察し、それらの告げ知らせることに耳を傾け、「訊く」ことで、実に多くのことを学んでいました。宮沢さんも、自身の肥料相談所の活動のために、一人ひとりの農家の人から…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(6)

三澤さんが、自然および農家の人の農業生産の様子を観察し、それらの告げ知らせることに耳を傾け、「訊く」ことで、実に多くのことを学んでいることは、三澤さんの講演の記録や書き物を読んでいるとよくわかります。それは、それらの記録や書き物に実に多く…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(5)

三澤さんのフィールドワークは、よい成績をあげている農家だけを対象とするものではありませんでした。よい成績をあげることができず、大きな困難を抱えている農家をも訪ね、なぜうまくいかないかその要因を農家の人とともに探究するようなフィールドワーク…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(4)

ここでは三澤さんが、当時の冷害・凶作・飢饉・経済恐慌などへどのように立ち向かおうとしていたかについて確認していこうと思います。三澤さんは、当時の国策による「匡救」策である自力更生運動を念頭に、「自力更生より自然力更生へ」という向き合い方を…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(3)

これ以降、三澤さんが発見した「風土」とは何か、そしてそれを発見したフィールドワークの方法とはどのようなものであったかについて参照していこうと思います。その際の関心は、あくまで、三澤さんと宮沢さんの、当時の冷害などの自然災害や農民の人たちと…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(2)

ここでは三澤さんの風土思想とはいかなるものかについて確認しておきたいと思います。依拠するテキストは、『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 第3巻 風土産業』農山漁村文化協会、2008年です。 この著作は、1936年中に、「地域の現場で産業おこし・地域振興…

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(1)

宮沢さんと宮沢さんが救おうとした貧しい農民の人たちとの関係性を考えながら、宮沢さんは当時の農民の人たちの窮状と惨状にどのように向き合えばよかったのだろうかという問いが浮かんできます。少なくとも、そうした志をもった宮沢さんが農民の人たちから…

宮沢賢治さんの詩の作品(4)―「(そのまっくらな巨きなものを)」

この作品は、農民の人たちの心の壁にぶち当たった宮沢さんの敗北宣言なのでしょうか。その文章すべてを確認しておくことにします。 「そのまっくらな巨(おほ)きなものを/おれはどうにも動かせない/結局おれではだめなのかなあ/みんなはもう飯もすんだのか/…

宮沢賢治さんの詩の作品(3)―「火祭」

「火祭」という作品は、今回参照している『詩集』の編者である山本太郎さんの解説によれば、宮沢さんが心血を注いだ羅須地人協会の活動が空転しはじめた時期の作品だそうです。宮沢さんはその活動を通して、(貧しい)農民の人たちのために、その人たちと協…

宮沢賢治さんの詩の作品(2)―「(もう二三べん)」

岩手という地に仏国土建設を夢見る宮沢さんの心を暗く、屈折したものにしてしまうものとは何か、次に、「(もう二三べん)」という作品を見てみることにしたいと思います。 「もう二三べん/おれは甲助(かふすけ)をにらみつけなければならん/山の雪から風の…

宮沢賢治さんの詩の作品(1)―「地主」

宮沢さんが生きていた時代には、同じ地域内の有力者層の人たちと一般農民、とくに小作として経済的にも貧しい生活を強いられていた農民の人たちとの間の関係性は大きく変わってしまっていました。その変化は、社会科学的用語で表現すれば、近代化・資本主義…

安家村俊作さん(6)

権力者の政治に頼ることなく自分たちの力と才覚によって自律的に度々襲ってくる自然災害に地域全体で一致協力して立ち向かっていた南部三閉伊通の人々、とくに一揆を主導した俊作さんたちは、どのようなことを契機として自分たちの権力者と対峙し、闘いを挑…

安家村俊作さん(5)

俊作さんをはじめとする南部三閉伊一揆の主導者の人たちは、南部藩の政治にはどのように向き合っていたのでしょうか。この点に関して、茶谷さんは、「安家村とはさほど遠くない軽米(かるまい)の豪農淵沢円右衛門」さんが遺言として残した『軽邑耕作鈔』の…

安家村俊作さん(4)

ここまで1847年と1853年の二度にわたる南部三閉伊一揆について、その一揆を主導した一人である俊作さんとの関係に焦点を当てて見てきました。では、それは、宮沢さんを理解するということとどのような関係があるのでしょうか。結論から言えば、地域社会にお…

安家村俊作さん(3)

1837年1月、再度、盛岡南方一揆が起こるのです。しかし、この一揆が前年のときは異なり、仙台領伊達藩に対して訴えを行ったのです。すなわち、「南部・伊達藩の境にある鬼柳番所が、多数の百姓たちによってうちやぶられた。番所をやぶり藩境を越えて仙台領に…

安家村俊作さん(2)

南部三閉伊一揆は、南部藩支配下の三閉通り地域(「野田・宮古・大槌の三通りをふくむ三陸沿岸全域」)の百数十カ村」の「一万六千名」、当時のこの地域全人口6万人の約25%以上に相当する人々が参加した、壮大なものでした。そして、その壮大な一揆を主導し…

安家村俊作さん(1)          

今回、岡本公樹さんの著した『東北不屈の歴史をひもとく』を読んだことで、関心をもった岩手県の農民の方々の歴史、とくに大飢饉や領主の苛斂誅求的政治にどのように向かい合ってきたのかについてもう少し詳しく知りたいと思うようになりました。そのために…

「どうする家康」と「銀河鉄道の父」

最近映画「銀河鉄道の父」を観てきました。テレビの予告コマーシャルがアピールしていたように、映画を観ている間、涙が止まりませんでした。人間誰しも避けることのできない死を、宮沢賢治さんをはじめとする宮沢家の人たちがどのように受け止めたのかが描…

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(6)

前回内ケ崎さんの自由主義の立場について参照しました。今回は、その自由主義の立場からの教育・人づくり論について参照したいと思います。それは、個人的になりますが、非常に興味を促される議論がおこなわれているからです。 内ケ崎さんの教育・人づくり論…

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(5)

ここでは内ケ崎さんご自身が自称している自由主義の立場について参照しておくことにしたいと思います。それは、内ケ崎さんの自由主義的立場は実は宮沢さんの立場でもあったのではないかと感じるからです。その立場を、内ケ崎さんは自分の信仰との関係で次の…

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(4)

前回は、内ケ崎さんの「真の宗教」論について参照しました。今回は、そのことを受けて、内ケ崎さんはその宗教と科学との関係をどのように論じていたかについて見ていきたいと思います。 まずそのための前提として、内ケ崎さんは「真の宗教」的態度と科学的態…

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(3)

宮沢さんは、私たちが生き、生活しているこの宇宙世界を律しているものこそ仏法であると信じていました。内ヶ崎さんも、またこの宇宙世界を律している法とは「実在」であると論じていました。ではそうした究極の法というものを仮定した場合、宗教や科学、そ…

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(2)

内ヶ崎さんの『人生学』はどのようなものなのでしょうか。また、内ヶ崎さんの『人生学』は宮沢さんの思想を理解するためのよい参考書となるとはどのようなことなのでしょうか。さらに、内ヶ崎さんの『人生学』は現在の地域づくりのための思想としても意義あ…