シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

女性が活躍するハイランド地方の地域づくり

 これまでエッグ島、アラプール、そしてケアンドゥの地域づくりを紹介してきましたが、いずれの地域づくりにおいても女性たちが活躍していることが印象深く記憶に残っています。フィールドノートにも、ハイランドの地域づくりでは女性たちが活躍しているのはなぜなのだろうかと記してあります。

 エッグ島では島の所有権買い取り運動でマギーさんが、アラプールでは地域づくりの中心としてバーバラさんが、そしてケアンドゥではコミュニティの社会的企業の代表者であるクリスティーナさんやHWAの専門職スタッフであるジャッキーさんやローナさんが活躍していました。それは、私たちが訪問したところのたまたま偶然のことだったのでしょうか。それともある程度必然的な性格をもっていることがらなのでしょうか。

 このことを考察するために新型コロナウィルスが蔓延していることによって浮かび上がってきた現在の社会生活のあり方について確認しておきたいと思います。社会学の目で現在の状況を見てみると、以下の三つのことが強く感じられます。ひとつは、私たちは一時として経済活動を止めたり、緩めたりすることができない社会的仕組みの中で生活していることをつくづく実感します。二つ目は、その生活についていけない人はどんどん置いてきぼりにされていってしまうのだなと強く感じます。そして三つ目に、しかしそれとは矛盾したことを述べることになるかもしれませんが、社会全体が危機的な状況になったときには、置いてきぼりになりそうな人を何とか支え、支援しようとするさまざまな社会的動きも起こるのだなと実感しています。やはり人間は社会的動物であると言えます。

 新型コロナウィルス関連の日々のニュースの中で心を痛めるのは、営業停止や自粛を要請された店舗が苦境に陥っていることです。またそのために多くの人たちが雇止めや解雇されていることです。経済的にはとても豊かな社会のはずでしたが、経済活動がほんの少し止まることでこれだけの困難が生じるとは思ってもみませんでした。あらためて私たちが生活している社会では、独楽ねずみの無限地獄のように利益をあげつづける経済活動というはずみ車を回し続けなければならないことを思い知らされています。

 とくに店舗経営の家賃の高さに関するニュースに驚くばかりです。小さな店舗でも毎月50~200万円という高額の家賃を払っていたのだということを、今度の出来事に関するニュースのなかであらためて知ることとなりました。そうした高い家賃を払い続けながら利益をだし続け、営業しているのは何とすごいことなのかと素直に思いました。そうした現代社会を生き抜くには、冒険心に富み、攻撃的で、エネルギッシュ、そして何事にもめげずにストレスにつよい人、そしてさまざまな意味で運に恵まれた人であることが求められているように感じます。

 しかし、人間誰しもそのような運に恵まれた「強い」人であるとは限りません。また人はさまざまな意味で不等な存在です。とくに社会・歴史的継承される財産、社会的地位、文化資産などには大きな差異が存在しています。昨今の格差社会化の進展の中で、その差異はより大きくなっているのではないでしょうか。独楽ねずみの無限地獄のような経済活動についていけないか、はじきだされてしまう人は少なくないのではないかと考えられます。そうした人たちが心おきなく生きていくことのできる世界は現代社会のどこに存在するものなのでしょうか。社会学が探究しなければならないテーマのような気がします。

 そうした意味でこれまで紹介してきたハイランドの地域づくりは、現代の市場経済社会の上述してきたような社会的仕組みについていけないかまたははじき出されてしまうような人たちでも安心して生活できるような社会的仕組みづくりなのではないかと思います。そうした社会的仕組みづくりを社会学では包摂的な社会づくりと呼びます。

 確かに現代市場経済社会のような「強者」の人たちだけが生き残れるような冷酷で厳しい社会のなかでも活躍している女性たちは沢山存在しているとは思います。しかし、人々が支え合い、協力・協働して誰もが安心して生活することができるような社会づくりにおいてこそ、女性たちがより生き生きと活躍することができるのではないでしょうか。ハイランドの地域づくりがそのことを示しているように感じます。

 今回の新型コロナ禍への政策的対応で世界的に注目される政策を実現した国々の共通性として、それらの政策を決断した国のトップが女性であったということもまたそのことを示しているように思えます。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン