シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

人間皆これ極悪人?

 宮沢さんがもう「ボロボロ」になるくらい精神的に追い詰められたとき、それを救ったのは法華経でした。「私は殆ど狂人にもなりそうなこの発作を機械的にその本当の名称で呼び出し手を合わせます。人間の世界の修羅の成仏。そして悦びにみちて頁を繰ります。本当にしっかりやりませうよ」と法華経を読み、自分を自分自身で励ましていたのです。

 すでに言及したことですが、宮沢さんは初めて法華経を呼んだとき、身を震わせるほど感動したと言われています。では、宮沢さんは法華経のどのようなところに感動したのでしょうか。ここからは宮沢さんは法華経をどのように読んでいったのかについてのいち社会学者の推測になります。

 まず宮沢さんは法華経の人間観に感動したのではないでしょうか。苦しんでいる一切の衆生を救うという宮沢さんの生きる道の発見の契機となった『歎異抄』におけるそれと比較してみましょう。

 『歎異抄』の人間観とは、「罪悪深重煩悩熾盛(ざいあくじんじゆうぼんのうしじよう)の衆生」(『歎異抄講話』)というものです。すなわち人間は、例えどんなに立派な人と見られる人であっても、非常に罪深い悪人なのです。暁烏さんは『歎異抄講話』の中で、阿弥陀仏救いの手を差し伸べようとする人とはどのような人であるのかということに関して、その意味するところとして、次のように説いています。

 「『弥陀の本願には、老少善悪の人をえらばれず』私はこの一句を誦(じゆ)する内に大いなる霊感に打るるのである。文字はわずかであるが偉大な意義が封じもめられた言葉であります」。

 「白髪の老媼(ろうおう)を嫌(きら)って妙齢の少女を愛するのが、私どもの常ではないか。善人をば敬するが、悪人を牢屋(牢屋)にぶちこんでおくのは私どもの常ではないか。美人は人々争うてその愛を得んとするが、醜婦(しゆうふ)には唾(つば)をもはきかねぬが世の人の常ではないか。強いもの賢いものはやんやといわれるが、弱いもの愚(おろ)かなものをばふりむきもしないのが、人間の常ではないか」と説いているのです。そうした人が人をさまざまな理由で優劣をつけ、差別し、劣ったものを排除する人の心というものは何と狭量なものか、そして罪深いものかと言うのです。

そうした人間の心と比べ自然はいかに心が広い存在なのかについて、暁烏さんは次のような詩をつくって示そうとしています。

            悪人に善人の徳を求め

            善人は悪人の罪なきをほこる

            人の心の狭きかな。

            大根に人参(にんじん)の赤きを求めず

            人参に大根の白き迫らず

            牛蒡(ごぼう)にその黒きをたたえ

            蕪菜(かぶらな)にその青きをほむ

            自然の心寛(ひろ)きかな。

 そのように心狭き存在である人間はまた自己中心的な罪深き存在なのです。にもかかわらず自分を善人であると信じている人でさえ阿弥陀仏は救おうとするのですから、自分の罪深きことを直視している悪人はなおさら阿弥陀仏によって救われなければならないのです。それが親鸞の教えなのです。

 また仏教では、「罪悪・煩悩」の中で最悪のものとして、「淫欲(いんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)の三つをあげて」(鎌田茂雄さんの著書『正法眼蔵随聞講話』)います。それら三つは、「貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」という人間にとっての「三毒」です。

 「貧(むさぼ)りの強い者は必ず餓鬼(がき)道に落ち」ます。「瞋(いかり)のこころは地獄に堕(お)ち」ます。そして、「愚痴(ぐち)の人は畜生道(ちくしょうどう)に堕(お)ちる」のです。横道にそれますが、現代社会の状況は、何とこれらの仏教で言うところの「三毒」が蔓延ってしまっていると感じざるをえません。

 そのように罪深く、悪人でしかありえない人間は、それでもなお救われたいのであれば、阿弥陀仏を頼り、信じることで救ってもらわなければならないのです。そして阿弥陀仏はどんな人間でも救い、極楽浄土へと招き入れて下さるのです。それが阿弥陀仏の本願です。人間はその阿弥陀仏へ完全に「他力本願」することによってのみ救われる存在なのです。

 宮沢さんは、ここまで参照してきた『歎異抄』の人間観から多くのことを学び、自分の生き方にも反映させ、自己の日々の生活をも律しようとしたのではないでしょうか。しかしそれだけでは宮沢さんは満足できなかったのではないかと思います。なぜならば宮沢さんは自分が救われることを望んだのではないからです。宮沢さんの本願は、阿弥陀仏と同じ、苦しむすべての衆生を自分の力で救うことだったのです。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン