シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

幸福追求と宗教

 幸福追求と宗教の関係の探究者という点で、ジェイムズさん、トルストイさん、そして宮沢さんの三人は関係しているのではないでしょうか。「本統(まこと)の幸せ」をどこまでも探しつづけるというのが、帰花以降の宮沢さんの一貫したテーマでした。そのテーマ探究のために依拠したのが、ジェイムズさんとトルストイさんだったのではないかと考えます。

 トルストイさんは、「人生論」の中で、「私たちは、自分のうちなる生命を、幸福にたいする希求として知る。したがって、幸福にたいする希求としての定義をのぞいては、人生を観察することができないばかりでなく、見ることもできないのである」と主張しています。

 さらに、「私たちは、騎手と馬との結合のなかに生命のあること、馬の一群のなかに生命のあること、小鳥、昆虫、樹木、草にも生命のあることを知るので」あります。そのうえで、それら個々の生命がみな自分の幸福を願っていることを認めなければ、それらの個別性を理解することができないだけでなく、私たちにとって全世界は、「ひとつの無差別な運動と化し去っ」てしまうとトルストイさんは言い切ります。

 それぞれの幸福希求の生命世界の探究、それが宮沢さんの「法華文学」の隠れたテーマとなっていったのではないでしょうか。そして、ジェイムズさんは、この幸福希求と宗教との関係を、宗教意識を心理学的に考究している著作『宗教的経験の諸相』の中で論じているのです。ジェイムズさんは言います、

 「最高の幸福が宗教の特権である」のですと。それは、「あらゆる単なる動物的幸福や、あらゆる単なる現在の享楽から、はっきり区別されるもの」ですと。「ふつう私たちが幸福といっているものは、私たちが体験した災厄、あるいは私たちを脅かしていた災厄から、ほんの一時でも逃れえたことから生じる『安心感』なの」です。

 しかし、宗教的幸福はそうした災厄からの逃避や出会わないことへの僥倖感を超越しているものなのです。「宗教的幸福はもはや逃避など望まない。宗教的幸福は、外面的には、犠牲の一形式として災厄を認めはするが――内面的には、災厄が永遠に克服されていることを知っているので」す。

 またジェイムズさんは、その著書の中で何度もトルストイさんの言説や生活体験に言及し、自己の考察の参考にしています。そのひとつに、生きる意味を失い自殺しかねないところまで追い込まれた人生上の危機を、神への信仰によって乗り越えたその体験に関する言及があります。

 そのトルストイさんの人生上の危機は、(ジェイムズさんが引用している文章の)トルストイさんによれば、「外部の事情からはどう見ても私が申し分なく幸福であるはずの時期に起こった」のです。相思相愛の妻とよいこどもがいました。ひとりでに増大していく莫大な財産もありました。社会的名声もえていました。それゆえに、友人たちや見知らぬ人たちからの尊敬も集めていました。さらに、精神的にも、体力的にも充実し、「百姓たちと同じように草を刈ることもできたし、ぶっつづけで八時間も頭脳を使う仕事もでき」ていたのです。

 そうした人生上の絶頂期に、トルストイさんは突如生きる意味を見失ってしまうのです。「私は、私の生活上のいかなる行為にも、納得のゆくような意味を与えることができなかった。そして私は、そのことをそもそもの最初から理解していなかったことに驚いた。……人生とはただもう残酷でばかばかしいもの」となってしまったのです。

 ではトルストイさんはどうしてそのような深刻な人生上の危機に直面しなければならなくなったのでしょうか。ジェイムズさんの見立ては次のようなものでした。

 「私の解釈するところでは、彼の憂鬱は、もちろんそれもあったには相違ないが、単に彼の気質の偶然的な曇りに過ぎぬものではなかった。それは彼の内的な性格と外的な活動や目的との間の衝突によって必然的に誘発されたものである。文芸作家ではあったが、トルストイは、現代の洗練された文明の空(むな)しさと不まじめさ、貧欲さと錯雑さとに対して深刻な不満をいだき、永遠の真実はもっと自然でもっと動物的なもののうちにあると信じた原始的な剛直な人々の一人であった」のですと。

 このジェイムズさんの考察は、宮沢さんの生き方を探究するのにも、大いに参照になるものではないでしょうか。またそのような人生上の危機をトルストイさんがどのように克服していったのかの経験も、国柱会を去って今後どのように生きるべきかについて悩んでいた宮沢さんにとって大いに参考になるものだったのではないかと考えます。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン