シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

トルストイさんの都会の貧困者救済論

 宮沢さんはトルストイさんから多くの影響を受けていたのではないでしょうか。とくに人を救うこととはどのようなことか、人を救う人はどのような人物で、どのように生きなければならないのか、そして人を救うためにどのようなことをしなければならないのか等について折に触れ参考にしていったのではないかと思います。

 トルストイさんはそれらのことを「人生論」の中で論じています。すなわちトルストイさんの「人生論」は人を救うということに関する考察に捧げられているのです。その中でトルストイさんがとくに強調していることは、経済的に富んでいるものが貧しい人たちに単に金品を与えるだけという救済は何らの救いにもならないだけでなく、最悪のものになりかねないということです。なぜなら、その救済法は、金品を与えられた人の自尊心を挫くだけでなく、他者や社会、そして自己に対する思いさえにも深刻な悪意を抱かせるものになってしまう可能性が大きいからなのです。

 その「人生論」の題名は、「さらば われら 何をなすべきか」です。それは、田舎暮らしで、貴族出身のトルストイさんがモスクワという大都会で暮らすようになるところから話が始まります。トルストイさんがモスクワに暮らし初めて最初に気付いたこととは、乞食が異常に多いことでした。しかも、田舎の乞食と違って物乞いをしないのです。なぜなら、モスクワでは、「乞食で溢れているのに物乞いが禁じられて」いたからなのでした。

 そうした光景を見たトルストイさんは救済行動を実行します。「人々に対する同情と自己に対する嫌悪感」から、「私は自分が計画した仕事――ここで私が出会う人たちに慈善を施すという――を遂行したい希望に頭がいっぱいになっていた」。「慈善を施す――困弱者に金をあたえること――のはじつに立派なことで、当然、人々に対して愛情をいだくようになるはずと思われた」のです。

 しかし、「その結果はこれと逆になり、この仕事は私のうちに、人々に対する悪意と、彼らを非難する気持ちをよび起こしたの」(中村白葉・中村融訳『トルストイ全集16』)でした。というのもこの種の「慈善」が「慈善」を受けた人たちを幸せにし、自分たち自身の力で生活できるようにすることがなかったからなのです。

 むしろ人からの施しで生きなければならない惨めさを増幅するだけでなく、豊かな人を羨み、それらの人たちからもっとお金を引き出そうと貧しい人たち同士で争い、より狡猾的になり、さらには徐々に堕落させてしまうものだったことが分かってくるのです。トルストイさん自身のことばを引用しておくとするならば、「慈善」を受けた人たちは、

 「金持ちのそばで、彼らのように、勤労によらず、さまざまな奸策を弄して、他人の集めた富を取り上げて暮らすことを覚え込み――そのあげく、堕落し、滅びてゆくので」した。それが、トルストイさんが「望みながらも救い得なかった都会の貧困というものなの」でした。

 ではなぜそのようになってしまうのでしょうか。そして都会に住む貧しい人たちすべてがそのような「堕落者」たちだというのでしょうか。それらの疑問を解くため、トルストイさんは、「貧民の巡回訪問をはじめ」ます。そして、「思いもよらぬことを目撃した」のです。それは、一方で、「私の助けなど考えてもいないような人々に出会った」ことでした。「彼らは労働者で、労働と困苦になれ、したがって私などよりははるかにしっかりと生活の中に立っていた」のです。

 しかし、トルストイさんは、「他方では、私は自分では救い得ない不幸者たちに出会った」のです。「私が見かけた不幸者たちの大半は、ただ自分のパンを稼ぐ能力や、意志や、習慣を失ったからこそ、不幸」になっていたのです。そこで主人公は、自分がどのような存在であるかということを知ります。

 すなわち、「その連中は私とまったく同類だ」ということを知るのです。自分は、自分では労働することなく、他人が生産した富に寄生して生活している。その私がその富で貧しい人を救おうとしている。その行為は何と偽善に満ちていることかということをトルストイさんは知るのでした。

 そして、トルストイさんは問います。「都会で生計を立てる」という言葉」には、「なにかそこには奇妙な、冗談に似たものがある」のはなぜだと。というのも、「森や、草原や、穀物や、家畜や、地上のありとあらゆる富のある場所」は田舎なのです。なぜ人々は、その田舎から、「木も、草も、土地もない、ただ石と埃(ほこり)だけしかないような」都会にやってくるのだろうかと問うのです。

 同時にトルストイさんは田舎での懐かしい生活を思い出します。田舎では私は、貧民のためにごくわずかな援助でも人々に利益をもたらし、私の周りには愛と友和の雰囲気をかもし出し、その中では、私も己の生活の不条理を意識する良心の呵責を鎮(しず)めることができ」ていたことを。そして、このトルストイさんは、「仕事を全部放擲して、いまいましい気持ちをいだきながら田舎に帰ってしまった」のです。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン