シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

本統の百姓になるとは?

 すでに言及してきたことですが、宮沢さんは、教え子や心友である保阪さんへの手紙の中で、農学校の教師を辞めて「本統の百姓」になると知らせています。そして、先行する宮沢さんをめぐる研究や「論」において、宮沢さんが言っている「本統の百姓」とはどのようなことなにかについてさまざまに論じられてきています。

 その中には、大変厳しい批判的な指摘もあったように思います。例えば、宮沢さんが行った農業とは所詮お金持ちのお坊ちゃんの家庭菜園程度のものであったというような言説もありました。さらに水田による稲作を行わなかった宮沢さんの農業は、決して「本統の百姓」と呼べるものではないとの指摘もあります。

 そうした宮沢さんがめざそうとした「本統の百姓」に関する議論の中で、雑誌『宮沢賢治第11号』に経済されている佐藤通雅さんの「〈農民〉と〈百姓〉の狭間」という論考は興味惹かれるものです。というのも、佐藤さんの「父は岩手の農家の出身であり、祖父母とも典型的な岩手農民だった」ことで、岩手の農民の方々がもっている農民像に立脚した議論を展開しているからなのです。

 典型的な岩手農民であった祖父母の姿を見て育ってきた経験から、佐藤さんは百姓と農民の違いについて次のように論じます。すなわち、

 岩手県の「農民自身は自分たちを〈百姓〉と呼称することはあっても、けっして〈農民〉の語を当てることはなかった。自分たちの有りようから内発する語は〈百姓〉だったののであり、〈農民〉の方は内発とは無縁の、……もし自らを〈農民〉といおうものなら、たちまち歯の浮くような気恥ずかしさが湧いてくる」ものなのですと。農民という語は、当時の岩手県の農民の実態からすれば、「岩手方言にはけっしてなじまない、あまりにハイカラすぎ」るものなのです。

 では岩手農民にとって百姓とはどのようなことを意味しているというのでしょうか。佐藤さんによれば、岩手農民にとって、「農業の日々は、早朝から日暮まで牛馬と同じように働きつづけるのが実態であり、その土くささ、泥くささを含め、またやや自嘲も込めていうの」が百姓というものなのです。

 しかし、同じく佐藤さんによれば、「それだけではけっして農民を解き明かしたことにはならないのです。すなわち、「農耕とは、どんなに牛馬のように泥まみれ苛酷であろうと、土・太陽・空・風・水と一体となる有頂天の瞬間はいくらでもある。その愉楽を無言のうちに味わいながら、他方では重労働や悪天候によって身をさいなまれていく、この二重性こそが農ということなの」です。

 さらに、佐藤さんによれば、この「農耕」の二重性のうち、宮沢さんがめざそうとしたのは前者の「農耕」のもっている「有頂天」・「愉楽」の側面であり、その試みは「農耕」の後者の側面であり、「百姓」ということばに強く結びついているその「百姓」によって逆襲を受けることで挫折せざるをえなかったのです。

 そうした考察をした上で、佐藤さんを宮沢さんの「本統の百姓」になるという試みとは何であったのかということに関して、次のように評しています。すなわち、

 宮沢さんは、「無名に終わるだけの〈百姓〉に限りなくひかれつつも、〈農民〉という理想の方向に上昇したいと渇望」していたのです。しかも、「とりあえず(ヽヽヽヽヽ)〈農民〉を考えただけなのである。いうなればそれは仮象だった」のですと。

 『本統の賢治と本当の露』の著者である鈴木守さんも、宮沢さんは、泥にまみれ、厳しい労働にたえながら、黙々とひたすら働きつづけるという意味での「本統の百姓」に真剣になる気はなかったと論じています。また農業生産に関して優秀な技術と実績をもっている、いわゆる模範的農民でもなかったと断じています。

 鈴木さんのそうした議論の論点だけを紹介するならば、「『独居自炊』とは言い切れない」、「『羅須地人協会時代』の上京について」、「『ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ』賢治」、「誤認『昭和二年は非常な寒い気候……ひどい凶作』」、そして「賢治の稲作指導法の限界と実態」という諸論点です。

 佐藤さんと鈴木さんの「本統の百姓」に関する議論においては、宮沢さんがめざしたものとは、佐藤さんによれば「百姓」ではなく、「農民」であると言い、鈴木さんは真剣ではなかったとしても「百姓」であったと見ているという点で違いがあります。しかし、「百姓」とは、泥にまみれ、厳しい労働にたえながら、黙々とひたすら働きつづける農耕者のことであるという「百姓」理解に関しては共通しています。

 では宮沢さん自身は「百姓」をどのように理解していたのでしょうか。さらに「本統の百姓」ということをどのように理解していたのでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン