シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

新たな仏道修行の道を求める思索

 ここまで宮沢さんの人生の歩みを尋ねてきました。それは一言で要約すれば、「すべての衆生を救う」ことに捧げようとした人生だったと言えるのではないでしょうか。そしてその道は、宮沢さん自身の仏道修行の道であり、ドストエフスキーさんの言う「無条件に美しい人間」となるための道でもあったのではないかと考えます。

 ただ具体的にどのような形の仏道修行を実行していこうとするのかという考えに関しては、羅須地人協会における活動を分岐点として迷いが生じ、いわゆる「雨ニモマケズ」を手帳に書きつけたころに180度転換しようと考えるようになったのではないかと推測します。

 そしてそのことは、仏または菩薩と衆生との関係性における宮沢さん自身の位置と役割意識の転換と言い換えることができるものと思います。「すべての衆生を救い」、宇宙の真理を我がものとするという志は変わらずにもちつづけていたでしょう。

 しかし、どのように救いの実践活動を行うのかについて転換しようとしたのではないかと考えられます。羅須地人協会・東北砕石工場における活動までは、神的・奇蹟的力(宮沢さんの場合は科学と経営才覚の力)によって人々のとくに経済的生活苦を改善し、楽しく生き生きと生きるための条件づくり活動に邁進しようとしています。

 より宗教的一般化して言えば、それは、人々の苦しみや危機を奇蹟力によって救うとともに、ご利益を与え、願い事を叶えてあげる働きであると思います。それは宮沢さんが自分自身に観音さまや阿弥陀さまの働きに類する働きを求めていたと言えるかもしれません。また、その働きには逆に醜い生き方をしているものに罰を与える働きを求めるという場合もあることだったのでしょう。

 そうした活動にのめり込んでしまったのは、目の前に困っている人、苦しんでいる人がいる場合や頼られた場合に放ってはおけない性格であったことと、宮沢さん自身の自己反省のことばによれば傲「慢」にも、自分もそのような力を少しはもっていると信じていたからかもしれません。その結果、自らを「敗残者」と認めなければならないような状況に直面せざるをえなくなってしまったものと思われます。

 そのため、病床の中で、あらためてトルストイさんやドストエフスキーさんを参考にしながら自分の仏道修行の道を見つめなおそうとしたのではないでしょうか。その際、彼ら二人が示しているものと宮沢さんが受け取ったものは、人間とはいかに自己中心的・傲慢で、しかし一方でいかに弱い存在であるかという人間観であったと思います。

 そして、彼ら二人が示したそうした人々を救う道とは、すべての人のどんな罪をも許し、それらの罪を自分が一身に引き受けて生きるというまたそれはそれで大変困難な、そしていばらの道と思える道ではなかったかと思います。

 その道に関しては、ドストエフスキーさんの「カラマーゾフの兄弟」の中では、キリスト教僧院の僧院長でみんなから「長老」と呼ばれている人の僧院関係者への死出の旅路の別れのことば(遺言)として次のように語られています。

 「皆さん、どうぞ互いに愛し合って下され。……そうしてまた衆生を愛して下され。我々がここへ来て、この壁の中に閉じ籠っておるからというて、そのために俗世の人より豪いという理屈はありませんじゃ。それどころか、かえってここへ来た者は、そのここへ来たということによって、自分が俗世の誰よりも、また地上に住む誰よりも一ばん劣ったものと自覚したわけになるのですじゃ」。

 「僧侶はこの壁の中に長く住めば住むほど、ますます痛切にこれを悟らねばなりませぬ。……さらに進んで自分はすべての人に対して罪がある」。「群衆の罪、世界の罪、個人の罪、一さいの罪に対して責任があるということを自覚したら、その時はじめて我々の隠遁の目的が達しられるのですぞ。なぜというに、我々はみな一人一人、地上に住むすべての人に対して、疑いもなく罪があるからなのですじゃ」。

 「それは一般の人に共通な世界的罪悪というようなものでのうて、おのおのの人がこの地上に住む一さいの人に対して、個人的に罪をもっているのですじゃ。この自覚は単に僧侶ばかりでなく、すべての人にとって生活の冠ともいうべきものであります。なぜというに僧侶は決して種類を異にした人間ではなく、ただ地上におけるすべての人が、当然かくあらねばならぬと思うような人間に過ぎませぬでな」。

 ただ僧侶(宮沢さんの場合は仏道修行者)は、そのことを自覚し、さらに進んで他のすべての人たちの罪をも引き受けようとする存在者にならなければならないのです。それが「修行」なのです。そして、その「修行」を通して、人々がお互いを愛し、自分の罪を悔い改める道に導くことができるようになると言うのです。キリストさんはその模範を示したことで「無条件に美しい人間」となったと言いたいのでしょう。

 ここまでかなり長く「長老」と呼ばれている相院長の最後の教説を参照してきましたが、ここで言いたいことは、宮沢さんが「カラマーゾフの兄弟」の作品を読み、直接その僧院長の教説に影響を受けたのではないかということではありません。ただ潜在的に、キリスト教のそうした思想を心に受け止めてきていたのではないかと考えるのです。

 そして、長く病床に臥せらなければならない状況の中で、「長老」の教説と同じ性格の施策を反芻していたのではないかと考えるのです。なぜならば宮沢さんが信奉している日蓮さんにも同じ思想が息づいていると言われているからです。

 この点に関して、『日蓮入門――現世を撃つ思想』の著者である末木文美士さんが次のように指摘しています。末木さんは言います、

 「さまざまな形をとって身に降りかかる不条理な苦難をどのように理由づけ、積極的な人生観に転じるかは、宗教の大きな課題である」。旧約聖書におけるその解決法は、神によって選ばれたユダヤ人の神によって与えられた試練を、信仰を堅持することで乗り越え、栄光を勝ち取る物語として提示していますと。さらに、つづけ

 「それに対して、日蓮の場合は、あくまで個人の問題として、輪廻の展開の中で理論化され」ています。そうした「苦難によって罪を贖うという贖罪の発想には、キリスト教との近似も見られる」のですと。

 そして、病床の中の幾度となく繰り返すそうした思索の後、宮沢さんが選ぼうとした仏道修行道こそ、法華経における常不軽菩薩に象徴される「忍辱」の道だったのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン