シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

地域の独立と自律を求めるという「まことのしあわせ」の形

 宮沢さんの「鳥の北斗七星」という作品との関係で、現在私たちが生きている娑婆世界で起こっているウクライナ危機に何を見るかということについて考えてみたいと思います。現在のウクライナ戦争で何よりも驚いたことは侵攻しているロシアと比較すると圧倒的な弱小国ウクライナ兵士の善戦の姿です。

 今般のロシアによるウクライナに対する軍事的侵攻という悲劇は、これまでの人類史のなかにおける強大な権力をもっている地域と弱小地域の間で繰り返し起こってきたことなのでしょう。その場合、弱小といえどもなお、自分たちの地域の自治と自律を守るために多くの尊い命を犠牲にして戦ってきたのではないかと思います。

 今般のロシアによるウクライナに対する軍事的侵攻に対する新たに志願した市民を含むウクライナ兵士の善戦はそうした歴史を否応なく彷彿させます。同時に自分たちが生活している地域の自治と自律がいかに人にとって重要なものとなるか、ウクライナの人々のそれを守ろうとする必死の行動に示されているのではないでしょうか。

 これまでのフィールドワークにおけるフィールドとして、自分はなぜスコットランドや沖縄という地域に惹かれてきたのか、そうだ〈地域の自治と自律〉というテーマを探究したかったのだということをいま感じています。

 スコットランドイングランドとフランスという強国にはさまれた弱小国として、そして沖縄は、中国と日本という強国に挟まれた弱小国として、いかに自分たちの地域の独立を実現するかを追い求めてきた地域なのではないかと思います。

 そうした歴史的過程で、沖縄の人たちはかつて自分たちの歴史を、自分たちを支配している権力者の移り変わりの歴史として認識してきたといいます。そのことを琉球処分によって日本の支配下の地域となった時代に生きた伊波普猶さんは次のように論じています。

 琉球時代に、「君主即ち国家」「国家即ち君主」という思想が生まれ、君主の交代を「よがわり(世替)と捉えてきたのです。また「易姓革命の国柄」から「琉球人は至って平和な人民で、古今古来『にがようあまようなす君』(『世なみ凶しきを吉きにかへす君』もしくは『悪い国家を良い国家にする統治者』の意)を渇望して已まない人民」(「古琉球の政治」『伊波普猶全集第一巻』平凡社)だったのですと。

 また元コザ市長で、『沖縄独立宣言【ヤマトは帰るべき祖国ではなかった】』の著者である大山朝常さんは、その著書の中で、沖縄出身の歌手である嘉手苅林昌さんの「時代の流れ」という歌の次のような一節を紹介しています。

 その一節とは、「唐ぬ世から大和の世/大和ぬ世からアメリカ世/ひるまさ変わたるくぬ沖縄……大和ぬ世から沖縄世/やっとぅ戻たるくぬ沖縄」というものです。大山さんはこの一節は、沖縄の独立宣言であると見るのです。

 沖縄の人たちはかつて「鳥の北斗七星」の少佐となった烏のように自分たちの住む世界の平和と安寧をただひたすら「神」ともとらえる「君主」の善政に祈りつづけていたのです。しかし、現在は、そうした歴史を経て自分たちの地域の運命を自分たちの意志で決めていこうとするようになってきているのではないでしょうか。まさしく、沖縄の歴史の大変大きな世替わりの時代を自分たちは生きているのだなと感じます。

 そうした目で宮沢さんが生きた岩手という地を見てみると、岩手もまたかつては奥州藤原氏によるいわば「独立国」であったと言ってもよいのではないかと思います。藤原清衡さん、基衡さん、そして秀衡さんという藤原氏三代にわたる国づくりの特徴は現世に極楽浄土世界を創りだす仏国土建設にあったということではないでしょうか。

 清衡さんの命により建設された「中尊寺建立供養願文」には、前九年後三年の役で「亡くなった全てのものを、敵味方の区別なく極楽浄土へと導きたい」という願いが記録されているといいます。

 さらに、そこには、「人だけでなく、けものや、鳥や、魚、貝」など戦争で犠牲になった霊魂の成仏を祈っているものだそうです。そうした奥州藤原氏の精神風土を宮沢さんもまた継承しようとしていたのではないか、イーハトーヴはそのことを象徴化する岩手の地への命名だったのではないかと思いを馳せてしまいます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン