シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんの岩手県の風土論(1)

 岩手の地に仏国土建設をという夢をもった宮沢さんは、岩手という地の気が遠くなるような歴史的形成過程に思いを巡らし、それは岩手の自然と人々がお互いに交感・交歓し合う中で仏意的世界を育んできた営みの歩みであったことを感じとり、文学的に表現しようとしたのではないかと推測します。

 そして、そのことを表現するキーワードが、「美しさ」と「聖性」の二つではなかったかと考えます。ただその歩みすべてが、仏意にかなった順調なものではなく、ときには仏意に背く欲望と悪意に染まったできごとを数多く経験することを通したものであることを宮沢さんはリアルに見ようとしていることに興味が惹かれます。

 面白いのは、それは凡夫という性格をもっている人間世界だけのできごとだけではなく、自然界の中にも同じ凡夫的性格をもつできごとが数多く存在してきたと宮沢さんが捉えていることです。

 そのため、人間と自然との関係性の中には、我意と欲望に染まった人間同士と同じ関係性のあることを宮沢さんは作品として表現しようとしてきたのではないでしょうか。そしてそれらの作品を鑑賞していると、トルストイさんが人間や動植物だけでなく、生命をもたないものを含めこの世のすべてのものは、自分の幸せを求める存在であるということを論じていることが思い出されます。

 宮沢さんも、その自己の幸せ追求が他者の幸せ追求をそこね、踏み台にしようとすることが自然界にも満ち満ちており、そのため、法華経の教えを、人間界だけでなく、この世のすべての存在に対して広めなければならない理由があると考えていたのではないかと思います。微塵となって宇宙のはてにちらばろうという呼びかけはそのことを意識してのことだったのではないでしょうか。

 宮沢さんが岩手県の風土を表現するときのキーワードは美と聖という二つの語ですが、それらの語で宮沢さんは、岩手の自然美、生活風景美、そして人情美のあり様を「作品」の中で描こうとしていたのではないかと感じます。

 さらに宮沢さんは、それらの自然美、生活風景美、そして人情美に関して、これも気の遠くなるような長い年月をかけて生み出されてきたと捉えようとしていたのではないでしょうか。

 そしてだからこそ、それら岩手の自然美、生活風景美、そして人情美は、やがては仏国土の建設の礎として花開くものと考えていたのではないかと思います。

 宮沢さんは岩手の地の歴史的原点は、地獄であったと見ていたようです。そのことを示している自然風景が、岩手山山麓の「焼走り鎔岩流」なのです。宮沢さんは、そのことを、「国立公園候補地に関する意見」という作品の中で次のように記しています。

 「ぜんたい鞍掛山です/大地獄よりまだ前の/U-Iwateとも申すべく/大きな火口のへりですからな/さうしてこゝは特に地獄にこしらえる/愛嬌たっぷり東洋風にやるですな」とです。

 さらに、宮沢さんは、「鎔岩流」という作品も残しています。この作品では、それを、「喪神のしろいかがみが/薬師火口のいただきにかかり/日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から/畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒/……/けれどもここは空気も深い淵になつてゐて/ごく強力な鬼神たちの棲みかだ/一ぴきの鳥さへも見えない」と描いています。

 その原点としての地獄状態から徐々に、徐々に、岩手の地は仏国土建設にふさわしい地として生まれ変わってきていると宮沢さんには感じられていたのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン