シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

造園という仏国土建設活動

 私ごとになりますが、昨(2021)年9月に、花巻市宮沢賢治童話村で開催されている「童話村の森ライトアップ2021」のイベントを見にいきました。童話村の森と広場が色とりどりのライトに照らしだされ、夜の暗がりの中で森と広場が輝いて映しだされている美しさに息をのむ思いで散策する経験をもつことができました。

 このイベントを紹介しているパンフレットには、その趣旨が次のように記されています。

 「宮沢賢治童話村の自然と偏光フィルターを用いたオブジェの映し出す光が融合し、幻想的な賢治の作品世界を演出します。」というようにです。

 ただそのときは、夜の暗がりの中における森と「偏光フィルターを用いたオブジェの映し出す光」の融合の美しさに心が奪われ、その風景がどうして宮沢さんの作品世界を表現しているのかということについては正直よく理解していませんでした。

 同じ日の昼間、宮澤賢治記念館とイーハトーブ館も訪れています。イーハトーブ館を訪れたとき、岡村民夫さんの『宮沢賢治論 心象の大地へ』という本に出合い、手に取る間もなく購入しました。

 購入後、本当に少しずつ読み進めてきました。現在なお継続中です。その中で、岡村さんは、宮沢さんがフィールドワーク作家であることを指摘するとともに、自らがイーハトーブのフィールドワーカーとして宮沢さんとその作品を研究しつづけてきた方であることをしったのです。本の帯には、その本は「著者二十五年の集大成」とあります。

 宮沢さんに関する文献に関してはまだそれほど目を通せていないので、それは全く個人的な感想になるのですが、岡村さんが宮沢さんとその作品について論じて行く視点がとてもユニークで、かつ鋭いものであると感じています。大いに勉強になります。

 とくに宮沢さんが、造園とその光による演出にこだわった活動をつづけてきたことに関する論考は、「童話村の森のライトアップ」というイベントが宮沢さんの作品世界の演出であることとどのように関係しているのかを理解するための導きとなっていると感じます。

 岡村さんは先述の著書の中で、宮沢さんの造園に関して次のような考察を示してくれています。少々長い引用となるのですが、社会学的に見ても非常に関心のある考察なので、煩を厭わず全文引用しておきたいと思います。

 「造園が農業と積極的に結びつけられている点も、賢治的と形容できる特色である。『装景手記』では、北上山地の萱原の火入れや、SF的な未来の稲作までもが『装景』に勘定される――『平野が巨きな海のやうであるので/台地のはじには/あちこち白い巨きな燈台もたち/それはおのおのに/二千アールの稲沼の夜を照して/これをして強健な成長をなさしめる』。農業やその改良形態が広大な造園になりえるとされている。風景を敏感に感受するばかりでなく、その要素を分析し、さらに一歩すすめて風景を再設計し、生活環境そのものを芸術へ転換するための造園。宮沢賢治は、語の通常の意味以上に〈風景の建築家(ランドスケープ・アーキテクト)〉たろうと望んでいたのだ」というのがその文章です。

 加えて、岡村さんは、宮沢さんが生きた時代は「キネオラマ」が興隆していた時代であり、宮沢さんもその強いい影響を受けた一人であることを指摘しています。すなわち、宮沢さんは「上京のたび浅草や神田の映画・演劇・歌劇などを観ており、花巻や盛岡でも上映や上演へ足を運んでいた」のです。

 しかも、宮沢さんは「シネオラマ」の上演における立体的な光の交錯」を自分の作品の中に取り入れているというのです。宮沢さんは、よく「自然の光への感受性や捉え方」に独自のものがあったと言われてきました。さらに、そうして捉えられた光を表徴する「心象スケッチ」が宮沢さんの作品の特徴でもあると論じられてもきました。

 岡村さんによれば、そうした宮沢さんの光の表徴は、「近代の光学装置(虫眼鏡・顕微鏡・天体望遠鏡なども勘定に入れる必要があろう)による洗礼をへた体験だった」のです。そして、そうした宮沢さんの光との関係性を論じているのが奥山文幸さんの「賢治とキネオラマ」(『宮沢賢治春と修羅』論――言語と映像(モンタージュ)』双文社出版、一九九七年)」であることも紹介しています。

 岡村さんが紹介しているこの奥山さんの本は、残念ながらまだ読んでいません。どうにかして出会い、ぜひ読むことができればと思っています。まだまだ未知の宮沢さんの研究書は多いでしょう。新たに出会うことが楽しみとなります。

 ところで、宮沢さんにとって、造園とは何だったのでしょうか。岡村さんは芸術論・文学論との関係を重視し、論述を展開しています。そこに岡村さんの「宮澤賢治論」のユニークさがあるように感じます。

 ここでは造園も宮沢さんにとっては仏国土建設活動の一環だったと推察しておきたいと思います。岡村さんもその推察を裏づける考察を行っています。これも少し長い引用になるのですが、労を厭わず全文引用しておくことにしたいと思います。

 「賢治は『装景』の本義を理解したうえで、そこに彼らしい仏教哲学的な負荷をかけている。『装景手帳』によれば、風景を『諸仏と衆生の徳の配列』として見る者こそ真の装景家である。信仰を共有するのでなければ、こうした宗教的風景観を全面的に受け入れることは難しいとはいえ、風景の霊的な力をかくも深く信じた人物にとり、造園設計が、『諸仏と衆生の徳の配列』を組みかえて人々の霊性の向上を促すという真剣な営為を意味していたことは、充分理解できる」のです。

 岡村さんが指摘しているように、宮沢さんにとって、造園とは、「風景の霊的な力」を最大限引き出し、「人々の霊性の向上」を図る仏国土建設の実践だったのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン