シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

羅須地人協会活動の挫折と「ポラーノの広場」(2)

 ファゼーロさんたちの新しい「ポラーノの広場」づくりとはどのようなものだったのでしょうか。その物語は、レオーノキューストさんが、「九月一日」の夕方、それまで行方不明となっていたファゼーロさんと再会するところから始まります。

 行方不明になっていたファゼーロさんは、「革を買う人」にひろわれ、その仕事を手伝いながら、薬の生産や革加工の技術を習得していたのです。それは、「センダードのまちの革を染める工場」でのことでした。警察から捜索を受けていたことでその工場を止め、ファゼーロさんはモリオー市にもどってきていたのです。

 またファゼーロさんは、「ムラ―ドの森の工場に居」た「年よりたち」から「革の仕事」をするよう依頼をされていたのです。その工場は、デステゥパーゴさんの「乾溜」工場で、その経営が傾いたことで密造酒を製造していた工場です。その工場を、そこで働いていた人たちが、ファゼーロさんと彼の仲間たちの協力を得て、自分たちの手で再建しようとしていたのです。

 レオーノキューストさんは尋ねます。「できるかい」と。ファゼーロさんは答えます。「できるさ。それにミーロはハムを拵えられるからな。みんなでやるんだよ。」「姉さんは〔〕?」「姉さんも工場へ来るよ。」「さうかね。」「さあ行かう今夜も誰か来てゐるから。」

 こうして「ムラ―ドの森の工場」の再建ははじまっていくのです。「それからちょうど七年たったのです。ファゼーロたちの組合ははじめはなかなかうまく行かなかったのでしたが、それでもどうにか面白く続けることができたのでした。私はそれから何べんも遊びに行ったり相談のあるたびに友だちにきいたりしてそれから三年の后にはたうたうファゼーロたちは立派な一つの産業組合をつくり、ハムと皮類と醋酸とオートミルはモリ―オ〔の〕市やセンダートの市はもちろん広くどこへも出るやうになりました」。

 こうしてファゼーロさんたちの「産業組合」づくりによる「ムラ―ドの森の工場」の再建は果たされたのです。ここまで辿ってきた作品の流れを「工場再生」に焦点を当てて、社会・地域づくりの社会学的視点で見ると、実にさまざまな物語として読むことができます。

 倒産しかけた会社の、そこで働いていた労働者の人たちによる自主管理的経営再建の物語としても読むことが可能でしょう。ここではヨーロッパ社会で地域再生や地域づくりの一つの手法となっている社会的企業創造の物語として読むことにしたい感じです。

 社会的企業は、資本家個人の経済的利益追求の企業とは全く異なる企業です。その性格は、理念的には、何から何まで社会的であることが存立のための要件になっています。まずそこで働く人がその企業の株主であり、経営者でもあります。

 企業の所有権が地域コミュニティにある場合もあります。例えば、スコットランドの高地・島嶼地方における地域づくりはそうした地域コミュニティ企業創造という手法がとられています。

 その地方には高地・島嶼地方企業局という半公的な地域づくり機関が存在し、社会的企業によるコミュニティビジネスの創造政策を展開しています。すなわち、数人の人たちが、地域におけるビジネスのアイデアをもってさえいれば、資金や土地、そして経営のためノウハウまで高地・島嶼地方企業局が提供してくれるのです。しかし、その企業は起業した人たちの所有物とはなりません。立地したコミュニティの所有する企業となるのです。

 そのため、起業した人がその企業を去っても、企業とその経営はコミュニティに引き継がれます。また、立地した地域コミュニティの人でその企業で働きたいとの希望があったときには、基本的にはその人を雇わなければならないのです。

 また、起業する目的も、経済活動を通して地域が抱えている問題を解決する社会的性格のものが奨励されています。さらに、立地する地域コミュニティの自然環境や生活文化に敬意を払うことが求められているのです。

 せっかくいいアイデアをもち、起業しても、その企業とその企業活動から得られる経済的利益が自分だけのものとはならないような社会的企業を起業しようとするような人が果たしているのかどうか疑問になるかもしれません。

 ところがスコットランドではその政策は大きな成果をあげているのです。宮沢さんの作品である「ポラーノの広場」におけるファゼーロさんたちの産業組合づくりの物語は、そうしたスコットランドにおける社会的企業の創設物語のモリ―オ市版であると見ることもできるのではないでしょうか。

 ただ、「ポラーノの広場」における産業組合づくりにはスコットランドの高地・島嶼地方企業局のような公的機関による援助というものはなかったのですが。それに代わって、「ポラーノの広場」における産業組合づくりには、モリ―オ市に勤めているレオーノキューストさんという力強い協力者がいたのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン