シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

羅須地人協会活動の挫折と「ポラーノの広場」(3)

 「ポラーノの広場」という作品を社会学の目を通して見たときに興味を惹かれることがまだあります。それは、宮沢さんにとっては、仏国土建設はめざすべき夢でしたが、ファゼーロさんたちは自分たちの幸せ生活の風景を探し求めていたら、結果として宮沢さんが夢見ていた「仏国土」の世界を創り出してしまっていることです。

 そして、ファゼーロさんたちは、その産業組合づくりの活動を通して、さらに自分たち自身の「理想」とする世界づくりを意識的にめざすようになっていっていることです。そのことは、この作品の最後に示されている「ポラーノの広場のうた」の中で宣言されています。

 「つめくさ灯ともす 夜のひろば/むかしのラルゴを うたひかはし/雲をもどよもし 夜風にわすれて/とりいれまぢかに 年ようれぬ」

 [まさしきねがひに いさかふとも/銀河のかなたに ともにわらひ/なべてのなや〔み〕を たきゞともしつゝ、/はえある世界を ともにつくらん]というようにです。

 しかも、この「はえある世界」づくりの意識が仲間たちにしっかりと共有化されていることを暗示することでこの「ポラーノの広場」の物語が終わっているのです。そのことは次のように暗示されています。

 「わたくしはその譜はたしかにファゼーロがつくったのだとおもひました。なぜならそこにはいつもファゼーロが野原で口笛を吹いてゐたその調子がいっぱいはいってゐたからです。けれどもその歌をつくったのはミーロかローザ―ロかそれとも誰かわたしには見わけがつきませんでした」とです。

 ここまで見てきたことからも分かるように、この「ポラーノの広場」における仏国土建設の物語は、そしてそれは農民たちのかつての師父たちの苦しい労働だけの生活ではなく、自分たちの生活をエンジョイする生活を取り戻し、再生する物語でもあるのですが、その担い手が宮沢さんと推定されているレオーノキューストさんではないのです。

 その担い手は、いずれも悪徳の地主や県会議員が経営する農場や工場で働いていたファゼーロさんをはじめとする人たちになっているのです。それは、宮沢さんの自身がリーダーとなってはじめた羅須地人協会による仏国土建設の挫折や当時の自然災害との闘いにおける挫折経験から、自分は勘定に入れず、あくまでサポーター役に徹することを誓ったからだと考えられるからです。

 しかし、まだ疑問が残ります。それは、宮沢さんはどのようなことを根拠として、当時の農民や工場労働者の人たち自身が仏国土建設の担い手になることができると確信することができるようになったのだろうか、という疑問です。

 この世に存在しているものすべてに仏性が存在しているという宮沢さんの信仰がその確信をもたらした主因なのでしょうか。社会学的視点で見ると、その疑問をいかに解釈していったらよいのかということが興味ある課題なのです。

 社会学だけでなく、社会科学全般に言えることですが、それらの大きなテーマの一つにポスト資本主義社会論があります。さまざまな矛盾を抱えた資本主義社会の次に生まれてくるであろう社会とはどのような社会なのか。その社会誕生の産婆役は誰が、どのような過程を経て果たすことになるのか、などなどが、これもさまざまに議論され、探究もされてきました。しかし、現在のところ、このテーマに関して個人的な感想をまじえて言えば、行き詰っているのではないでしょうか。

 とくにこのテーマは、マルクス主義社会理論の最大の、しかもそれは決して過去のものではなく、現在進行形のテーマであるように思えます。マルクス主義なんて古臭い、過去の歴史的遺物にすぎないと感じている人も多いのではないでしょうか。とくに、マルクス主義を標榜して生まれてきた社会主義国と呼ばれている国々の現状を見ていると、そのように感じるのは自然なことなのでしょう。

 しかし、それでよいのか、少し考えつづけてみようと思います。宮沢さんの「ポラーノの広場」という作品はそうした気持ちを後押ししてくれる作品なのではないかと感じるのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン