シニアノマドのフィールドノート

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エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(6)

 ではエンゲルスさんは、ブルジョアジー階級に対する労働者階級の「全面的な社会戦争」の勝利への道筋をどのように考えていたのでしょうか。それは、以下の道筋でした。

 第一の段階は、労働者たち自身の「社会戦争」を戦い抜くための組織化です。第二の段階は、ブルジョアジー階級が握っている政治権力を奪取し、労働者階級に対する「社会福祉」を実現することです。そして、最終段階となる第三段階において、資本主義社会の形成原理である「自由競争」を廃絶することです。これらの道筋を切り開き、勝利したとき、労働者階級の人たちは、資本主義社会を変革し、新たな社会を建設することができたと宣言することができるのです。

 まず労働者階級のブルジョアジーおよびブルジョアジーが支配する社会秩序に対する「反抗の、最初の、もっとも粗野な、もっとも実りなき形態は犯罪であった」といいます。しかし、この反抗は、「社会の全権力は各人それぞれにおそいかかり、圧倒的な力で各人を押しつぶしてしまった」のです。

 しかも、犯罪は「無知、無自覚な抗議形態であり、それだけでも、たとえ彼らが内心では同意したがっていても、労働者の世論の一般的な表現ではけっしてない」のです。ただちに、「労働者は犯罪を犯してもどうにもならないことにすぐに気がつく」のです。 

 労働者たちは、「労働者自身のための労働者間の結合」の必要性を抵抗の動きの敗北の経験の積み重ねの中で学んでいくのです。「秘密組織」の結成から、その「結合」が合法であり、労働者の権利であることを社会的に認めさせていく道を歩むようになっていくことになります。

 そうした組合は、当初は、「個々の労働者をブルジョアジーの圧政と放置から守る」必要性から誕生するのです。そして、次に自分たちの労働条件の改善のための活動を展開して行くことになります。

 すなわち、例えば、「賃金を定めること、集団で、勢力として、使用者と話しあうこと」等々の活動を展開して行くのです。それは、労働者たちが、個人的にではなく、集団として、社会的な要求として自分たちの労働条件や生活状態の改善を図っていく活動の誕生なのです。

 同時に、それらの要求実現のための戦いの手段も生まれて行くことになります。その代表的なものが、「ストライキ」です。エンゲルスさんはその「ストライキ」の意義を、単に自分たちの要求実現のための手段ということをはるかに超えるものであると、次のように論じます。

 「このような組合と、組合から生まれてきたストライキを本当に重要なものとするのは、それが競争をなくそうとする労働者の最初の試みであるということである。組合も、ストライキも、ブルジョアジーの支配はただ労働者間の競争、つまり個々の労働者同士の対立から生まれるプロレタリアートの分裂だけにもとづいているのだという認識を前提としている。そして組合とストライキは、たとえ一面的ではあっても、また方法がかぎられてはいても、まさに現在の社会秩序の中枢神経である競争に立ち向かうものであるからこそ、この社会秩序にとってはひじょうに危険なのである。労働者がブルジョアジーと、またそれとともに社会秩序の既存の全制度を攻撃するにあたって、これほど好適な弱点はない」のですと。

 そして、この「弱点」をついて政治権力を奪取するところまで戦いを進めて行くことになります。

 ただこの段階では、「全面的な社会戦争」への勝利には、まだまだほど遠いと言えます。また、これは再度後に考察することにしたいと思いますが、エンゲルスさんはここで新たな論点を提起することになります。それは、その「全面的な社会戦争」における過程において、生活改善の闘争やそのことを通した政治権力の奪取それ自体をどのように位置づけるのかという課題をめぐってのものです。

 エンゲルスさんはそれはあくまで通過点であって、それ自体が目的ではなく、誤解を恐れず言うことにすれば、最終的な勝利のための「手段」にすぎないという位置づけをするのです。

 エンゲルスさんは当時のチャーティズム運動に関する議論の中で言います。生活改善の闘争や政治権力の奪取は、「プロレタリアにとってはたんなる手段にすぎない。『政治権力はわれわれの手段であり、社会的な福祉がわれわれの目的である』。これがいまやチャーティストの明確なスローガンである」とです。

 では、エンゲルスさんは政治権力を奪取し、全面的な「社会的な福祉」を実現して行くための条件となる資本主義社会の形成原理である「自由競争」はどのようにして行けば廃絶することができると論じていたのでしょうか。それは社会学にとっても非常に興味ある論点です。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン