シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

「オールスターキャスト」ということば

 「オールスターキャスト」ということばは、私が宮城県図書館で出会った『宮澤賢治読者論』の著者西田良子さんが注目したことばです。西田さんによれば、このことばこそ宮沢さんの最後のメッセージであると言えるものなのです。西田さんは言います、

 「賢治の最後のメッセージは、法華経の中の『悉皆成仏』のこころに目覚め、『ひのきとひげなし』(最終形)にある『オールスターキャスト』という言葉が示すように、社会の中で行うべき仕事やふさわしい役目を果たすことであったとすれば、最晩年の賢治を理解するには、『デクノボー』以上に『オールスターキャスト』という言葉に注目すべきではないだろうか」とです。

 そのことは社会学にとってもとても大切なメッセージだと考えますので、そのメッセージをさらに敷衍しておきたいと思います。西田さんによれば、宮沢さんのそのメッセージに込めた思いとは、「この世には役立たずの人間はいません」。人はそれぞれ自分の活躍できるもち場があり、「それぞれ自分にあった役割・役目があります」ということなのです。

 ここで引用した「 」の中の文章は、宮沢さんの「気のいい火山弾」という作品の中の文章です。同じく西田さんによれば、その引用文にあるように、「晩年の賢治は『高慢のいさめ』よりも、『個々の特性を発揮』して、星たちのように、一人ひとりが自分らしく輝きながら、星が正座をつくり、北極星を中心に空をめぐるように、人との絆を大切に連帯感を持ちながら、社会を生きて行くことを主張して」いたのです。

 この西田さんの宮沢さんが「オールスターキャスト」ということばに込めた思いに関する理解は、まさしく社会学が研究対象の一つとしている地域づくりの大切な思想を示していると言ってもよいように思います。またまたあらためて勉強になりました。しかも、西田さんは、この思想が貫かれている作品の一つが「ポラーノの広場」だと言います。

 しかも、「ポラーノの広場」には、理想の社会は自分たち自身の手によって創造していかなければならないという宮沢さんの考え方が示されている作品であると、西田さんは指摘しています。

 すなわち、西田さんによれば、「ポラーノの広場」の作品の中で、「賢治と思わしき登場人物レオーノ・キューストが出てきて、子どもたちに、『ポラーノの広場』、つまり、理想の農村とは、他人がつくったものを探すのではなく、苦しく貧しい農村を自分たちの手で理想の農村に創りあげるもので、それが本当の『ポラーノの広場』だということを教える。『自分たちの手で創ろう』それが賢治が非常に力説するところだった」のです。

 さらに西田さんは、「ポラーノの広場」にはウィリアム・モリスさんの思想から学んだ「生活の芸術化」という思想が反映されていると言います。すなわち、「『生活の芸術化』とは、嫌々ではなく、生き生きと喜びをもって仕事をすることを大切にし、自分の個性をその仕事のなかに発揮することによって前よりも良いものを、より良いものへと発展させていく心構えをもって暮らせば、生活は立派な芸術と同じレベルになるのだとする考え」なのですと。

 「ポラーノの広場」におけるファゼーロさんたちの産業組合づくりの試みとはまさしくそうした労働と生活をつくりだすための試みであったと言えるでしょう。産業組合でなくても、芸術化した労働を創りだすことができるというメッセージも「ポラーノの広場」には込められているようです。

 西田さんはその例としてキューストさんがセンダードの床屋さんにいったときの描写を取り上げています。すなわち、「キューストが床屋さんに行くと、その床屋さんでは頭を刈ってくれる人はみな、『アーティスト』とよばれ、壁に名前がちゃんと書かれている」というようにです。

 さらに、「生活の芸術化」によって仕事をしている人はみな宮沢さんにとって天才と呼べる人たちなのです。なぜならば、これも西田さんによれば、「賢治は、こういう仕事をする人は、仕事に喜びと独創性と個性とクリエイト、創造をもっている」ことをすばらしいと見ていたからなのです。

 こうして西田さんの「オールスターキャスト」ということばに関する議論を共感しながら読み進めてくると、宮沢さんが思描いていた社会の状態とは、そうした天才たちが共同して自分たちの労働と生活を築いていくというようなものではなかったかと感じます。そしてそのことは社会学が探究している個人と社会との関係を示唆しているものと感じます。

 西田さんも次のように論じていました。すなわち、「オールスターキャスト」ということばのそうした「『個』と『全』の関係は、現実社会では『個人』と『社会』の関係となる。彼はひとりひとりがそれぞれの個性を発揮しながらお互いの連帯感を持ち、社会の中で自分にふさわしい役目をになっていくべきである」と宮沢さんは考えていたのですと。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン