シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

よりよく生きたいという思いや意欲の高まりが社会を変える(3)

 ここまでよりよく生きたいという社会思潮が大きく社会を動かし、変えてきた歴史的出来事に関して、経済的利益を追求する自由と「命あっての物種」という何としても生きつづけることへの社会的意欲の高まりという二つの例を参照してきました。

 では、現代社会における社会を動かし、大きく変えていくことができると予想できるようなよりよく生きたいという社会思潮にはどのようなものがあるのでしょうか。地域づくりの社会学の目で見ると、それは宮沢さんが晩年にたどり着いた生き方と重なるのですが、身近の人たちと共に楽しく、元気に生きるという生き方というものではないかと感じます。

 今地域づくりのトレンドは、自分一人だけがもうけ、喜び、楽しんで、元気になるというのではなく、地域の人たちと共に、一緒になってもうけ、喜び、楽しむことで、元気になるという社会思潮なのです。さらにそれは進んでいて、地域を元気にし、喜びや楽しみを共有化することで、自分たちの生活を自分たちの手で豊かにする、そして自分も元気になっていきたいというようになってきていると思います。

 ちなみに宮沢さんが晩年にたどり着いた生き方とは、いわゆる『雨ニモマケズ手帳』の44~46頁にある次の文章です。それは、それまでの自分の生き方を反省し、これからの自分の生き方を自分自身に言い聞かせているものなのでしょう。その文章とは、

 「厳に

   日課を定め

   法を先とし

 

    父母を次とし

    近縁を三とし

    〈社会〉農村を

    最后の目標として

 

   只 猛進せよ」

 というものです。

 読んで伝わってくるように宮沢さんのこの自分の生き方に関する決意は、まだまだ非常に硬さが感じられるものですが、現代の上記の地域づくりに関する社会思潮はもっとリラックス感があるものではないかと思います。片意地張りながら生きるのではなく、自分の気持ちに素直に応じて身近な人たちと共に生きようとし、結果として地域づくりにつながるというのが現代の地域づくりに関する社会思潮なのではないでしょうか。そして、リラックスした生き方であるというところによりよい生き方となっているのではないかと感じます。

 またそうしたリラックスした生き方は、「ポラーノの広場」におけるファゼーロさんたちの産業組合づくりの精神に通じるものがあるように感じます。そのことは、ファゼーロさんの仲間たち対する「ポラーノの広場」づくりについての次のような呼びかけに示されているのではないでしょうか。ファゼーロさんは仲間たちに呼びかけます、

「さうだあんな卑怯な、みっともないわざとじぶんをごまかすやうなそんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌へば、またそこで風を吸へばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いやうなさういふポラーノの広場をぼくらみんなでこさえやう。」とです。

ポラーノの広場」の中のこの部分に関する解釈として以前参照した西田良子さんの解釈が大いに参考になります。繰り返しとなるのですが、もう一度西田さんの解釈を示しておきたいと思います。西田さんは言います、

「『ポラーノの広場』、つまり、理想の農村とは、他人がつくったものを探すのではなく、苦しく貧しい農村を自分たちの手で理想の農村に創りあげるもので、それが本当の『ポラーノの広場』だ……。『自分たちの手で創ろう』それが賢治が非常に力説するところだった」のですと。

 ではファゼーロさんたちの産業組合づくりの試みや現代の地域づくりに見られる身近な人たちと共に生きる生き方が示している社会変革における意義とは何なのでしょうか。一言で言えば、それは、より多くの人たちが社会づくりとその運営の主人公となるための社会的経験の積み重ね、蓄積であるというものではないかと考えます。そしてそのことこそ、現在の社会主義国と呼ばれている国々において歴史的・社会的に欠けていたものだったのではないのかと感じます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン