シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

われらみな「東北人」

 宮沢賢治さんに関心をもつようになったことで、これまでであれば出会うことがなかったかもしれない本との出会いが増えてきました。その一つが、ここで紹介する読売新聞記者の岡本公樹さんの著した『東北不屈の歴史をひもとく』です。

 この本は、2011年3月11日の東日本大震災後の状況を取材するなかで誕生した本です。この本は、東北の人々の震災からの復興活動を支えようとして著されたものです。そしてその内容は、2万年に及ぶ東北の歴史を通観するものです。では、2万年に及ぶ東北の歴史を通観することが、どうして東北の人々の震災復興の活動を支えることになるのでしょうか。

 岡本さんは言います。「津波で多くの同僚を亡くした学芸員は、『文化のない復興は本物の復興でない』と言う。東北の歴史を知ることが、復興しようとする東北の人たちに、遠くから支えようとする人たちにとって、力になると信じて、この本を書きあげた」のですと。

 ではこの本は、どのようにして震災からの復興活動をしている東北の人たちの力になろうとしたのでしょうか。それは、数々の「天災」・「人災」を乗り越えてきた東北の人たちの闘いをあらためて振り返ることで、復興に向けて歩み出した人々を勇気づけるためのエールを送ることによってです。

 岡本さんによれば、「東北人が、地震津波、噴火など数多くの天災を乗り越えるだけでなく、時には利用したことは、現在の東北の人間にもあまり知られていない」のです。「まして『人災』といえる度重なる中央からの侵略と敗北が必然であるはずはない」のです。

 それらのことを知ることは、「積みあげたものをすべてなくした絶望の大きさは、被害にあっていない人間には想像するのも難しい。にもかかわらず東北の人たちは、復興に向けて小さな歩みをはじめた。それはなぜだろう」という問いに答えることができるようになることでもあります。

 東北2万年の歴史を振り返り、辿ってきた岡本さんのその問いに対する答えは次のようなものでした。すなわち、岡本さんによれば、東北の人たちの不屈の精神の秘密の「ひとつには、きっと東北の自然の美しさがある」のです。

 岡本さんのこの一文を目にしたとき、瞬時に宮沢さんが頭の中にうかんできました。なぜならば、宮沢さんも「この美しい岩手県を自分の庭園のやうに考へて夜は少しくセロを弾きでたらめな詩を書き本を読んでゐれば文句はないのです」(1931.3.21日付の工藤藤一宛の手紙)と書いていたからです。

 東北の自然の美しさと東北の人々の精神史との関係性を、岡本さんも、そして宮沢さんもともに強く意識しているのです。そして、宮沢さんの場合は、自然そのものに極楽浄土を創りだそうとする精神が宿っていると認識していたのです。しかも、その実現は間近に迫っているとも考えていたのではないかと思います。

 岡本さんは、東北人の2万年にもおよぶ「天災」と「人災」との闘いによって培われ、刻み込まれてきた「不屈の精神」は、きっと2011年3月11日の大震災をも乗り越える際にも発揮されるであろうことを明らかにしようとしました。

 宮沢さんも、また岩手の自然および人々は、宇宙史的展望の中で、いまや極楽浄土の世界を築きあげることになるであろうことを経典として示そうとしたのではないかと思います。なんというスケールの大きな自然のものをも含む岩手の精神史の創造の試みだったのでしょう。

 宮沢さんの詩や童話をどのように読んでいけばよいのか、これまで全く不明でした。そのため、そのための手がかりを求めてあれこれと迷い道を歩んできました。だいぶ時間もついやしてきました。やっと、いま、宮沢さんの詩や童話に向き合うための仮説的な視座を得たように感じます。あらためて宮沢さんの詩や童話にその仮説的な視座から親しんでみようと思います。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン