シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

極楽浄土という心象風景

 宮沢さんに関心をもつようになって、極楽浄土の存在とはなにかということも考えるようになってきました。現在のところ、仮説にすぎませんが、極楽浄土とは、宮沢さんが感じていたように死後の世界にあるのではなく、祈りと自然の美しさの中に霊意や神意を感じる人間の心の中に存在しているのではないかと考えるようになっています。

 それは宗教心に通じている心なのかもしれません。すなわち、人は、自然の示してくれる美しさや神秘さにふれたとき、自分の心の奥底に抱いている願いや夢、そして希望を「祈り」という形で自然にたいして捧げようとするのではないかと思うのです。そしてそれらの願いや夢・希望がかなえられる世界が極楽浄土の世界なのではないでしょうか。

 しかも、人間存在の面白いところは、心にあることを心の外に客観的な世界として具体的に実現しようとするところにあると思います。すなわち、人は、この世に極楽浄土世界を実現しようとする存在なのです。

 それは、特別な感受性をもっている人だけに限られたものではありません。普通の日常生活の中で無意識に行われている行為ではないかとも思います。温泉につかり、不断のストレスや疲れが癒されるとき、おもわず、〝ごくらくごくらく〟と口ずさみます。おいしいものを食べたときも、〝ごくらくごくらく〟という気分になります。

 少しまえ、久しぶりに平泉を訪れました。極楽浄土世界を再現しようとする〝まちづくり〟の風景を再度見てみたいと思ったからです。その中で、今回は、とくに無量光院跡の風景を見ながら建設当時どのような風景を見せていたのかに思いを馳せてみました。それは、無量光院には、その見せ方の中に、極楽浄土を感じることのできる自然美の風景の創作があるからです。

 あらためて、地域づくりには日常生活の風景づくりという要素が重要なものとしてあるのだと感じることができました。その風景に関して、平泉のパンフレットには次のように解説されていました。

 無量光院は、「三代秀衡が、宇治平等院鳳凰堂を模して建立した寺院」で、「建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上には沈む夕日」が光り輝いて見えるように設計されているのですと。

 そうした無量光院を創造する営みとは、人が自然から感じとった生命に関する真理とは何かつについての表現活動でもあるように感じます。なぜならば、藤原一族の人たちが平泉という地にそうした極楽浄土の世界を築かねばならなかった背景には、自分たちが経験した骨肉相食む地獄絵図の世界を経験していたという背景があるからです。

 それがどのようなものであったか、関心のある方は、岡本公樹さんの著した『東北不屈の歴史をひもとく』を参照していただければと思います。現実の人間社会を生きるということがいかに痛みをともない、数々の苦しみを生みだし、地獄とさえ感じるような世界とならざるをえないのか、大いに考えさせられます。

 それにしても、そうした世界の中で、自然が与えてくれるのは、癒しだけでなく、新たな社会建設に向けての構想でもあるということに惹かれます。宮沢さんが、仏国土建設の構想として、決して金銀財宝に満ち溢れた世界ではなく、自然美と人々の支え合う社会生活の姿を大切な要素としていたことに魅力を感じています。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン