シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

表裏一体の関係としてある極楽浄土と地獄

 平泉を訪れ、藤原一族の人たちが、それほどまでにこの世に極楽浄土世界を築こうとしたのかについて考えをめぐらすなかで思い至ったのが、藤原一族の人たちにとって現実世界があまりにも地獄であったからではないかということでした。このことは、後の時代の宮沢さんが直面した現実と希求したこととの関係性にもあてはまることなのではないかと感じるようになりました。

 極楽浄土と地獄、それはまさしく表裏一体の関係性を有しているものなのです。宮沢さんが詩や童話という表現方法で探究したテーマとは、そうした表裏一体の関係にあるテーマだったのではないでしょうか。

 極楽浄土と地獄、平和と戦争、宗教と科学、生(この世)と死(あの世)、民衆と為政者、そして自然と人間(生活)が、宮沢さんが挑んだテーマ群であったように思います。しかも、宮沢さんはそれらのテーマを、それぞれバラバラに、抽象的に探究したのではなく、この世に極楽浄土を建設するという目標に向かって闘いつづけるなかに位置づけていたのです。

 さらに、男と女の関係性に関しても触れていました。しかし、ないものねだりをするならば、もっともっと宮沢さんがそのテーマをどのように考えていたかについて考察できる材料を残してくれていたらなと願ってしまいます。

 この表裏一体としての関係性という視点で見ると、宮沢さんが愛した郷土である岩手県社会の歴史は、一面では、地獄絵図的世界の歴史でもあったということになろうかと思います。そして、事実そうであったことを、岡本さんの本が紹介しています。

 そのことをキーワードで示すならば、岩手県社会における地獄史とは、飢饉、中央政府による侵略、そして地元為政者による苛斂誅求というものではないかと思います。岩手県社会の人々の歴史は、それらの地獄的状況との闘争史でもあったと見ることができるように思います。

 その一端を、岡本さんの著作から、江戸時代の状況に関して確認しておこうと思います。ただその歴史を全面的に見ていくということはとてもできませんので、安易な方法ですが、つまみ食い的に書き抜きするということで満足したいと思います。蛇足ですが、ここに、学術的な論文ではなく、基本的には自分の思考・試行の記録をつづり残しておくためのブログということの気軽さと楽しさがあります。

 ここでは岡本さんの「三度の大飢饉」の叙述を参照させていただこうと思います。岡本さんによれば、「江戸時代の東北は三度、大飢饉に見舞われた。元禄(げんろく)飢饉(一六九五~九八年)、天明天明)飢饉(一七八二~八三年)、天保(てんぽう)飢饉(一八三三~三七年)で」す。これらは、天災ではありますが、岡本さんによれば、ヤマセと呼ばれる夏の冷たい季節風が吹く気候条件の下で、「新田開発」を急いだという人災の側面もあったと言います。

 さらに、そうした飢饉のときには、為政者たちは「炊き出しや年貢の減免、米を使う酒造の禁止などの対処療法」をおこなっていたのですが、当時の岩手県社会の為政者であった盛岡藩は、そうした救済策が不十分で、かつ庶民が納めなければならなかった税も重かったというのです。

 そのため、「とくに盛岡藩は、飢饉による一揆が突出して多発した藩として有名」で、「飢饉のたびに一揆が起き」ていたのです。例えば、「『三閉伊(さんへい)一揆』では、一万六千人もの住民が集結し、数千人が仙台藩に逃散した」と言われています。

 ではなぜ盛岡藩では飢饉の際に一揆が多発したのでしょうか。岡本さんによれば、盛岡藩は新田開発の余地が少ない地質的特徴を基盤としているにもかかわらず、他の藩との家格をめぐる序列争いのために見栄をはったためであると説明しています。

 すなわち、かつては表高10万石であった盛岡藩は、他の藩も10万石になったため家格が同格になってしまうことを嫌い、表高20万石に変更したのです。しかし、「盛岡藩のもつ海岸は、三陸海岸のリアス式で、埋め立てには向かない。実高の上乗せは数万石程度だったようだ。結果として領民の祖全負担は重くなり、飢饉などには弱い体質」となってしまったのです。

 そのために、飢饉のときの藩による救済策も他藩と比較して薄いものとならざるをえなかったのです。岩手県社会の人々は、厳しい気候条件に加え、為政者による苛斂誅求の政治とも戦い抜き、現在の岩手県社会を創りあげてきたのです。宮沢さんが向き合わなければならなかったのは、そうした闘いの歴史を潜り抜けてきた人たちでした。個人的にも、岡本さんの本に出合い、岩手県社会の人々の歴史的歩みについて少しは知ることができたことで、岩手県をみる目がかわりました。

 それまでは、岩手県は自然にめぐまれその景観だけでなく、自然がもたらしてくれる恵みの豊かさに目を奪われていたのです。とくに、宮沢さんのように自分の信念によってではなく、単に生理的な性質によって生ものが苦手な自分にとって、海産物ではなく、農産物の豊かさに惹かれてきました。

 とくに、リンゴ、お米、日本酒とビール、そして牛乳の加工製品に魅力を感じてきました。しかし、その豊かさやすばらしさを得るまでに地獄的状況を一歩一歩切り開いてきた人々の闘いがあったことの重みをあらためて知ることになりました。岡本さんに感謝します。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン