シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(7)

 この世に生きている個人が、仏教の教えを修得し、この世に極楽浄土的世界を創造することができるというような教えが、既成の仏教の教えの世界にあるのかな、と思っていたところ、青山俊董さんの『泥があるから、花が咲く』という本に出会ったのです。

 青山さんは、この著書の中で、「地獄・極楽は自分の心一つに開いてゆく世界」であることを説いています。その例として、「金沢の近郊、松任(まつとう)の本誓寺(ほんせいじ)」の歴史を示しています。本誓寺は、「千年の歴史を持つ古刹(こさつ)」ですが、親鸞聖人さんの越後への流罪を契機として、天台宗から浄土真宗に改宗したお寺だったのです。

 それは、「親鸞聖人が越後(えちご)に流される途中、手取川(てどりがわ)が氾濫して足止めを食い、しばらくこの寺に滞在された」際に、「その親鸞さまのお人柄にほれこん」だことによってだったというのです。そうした話を聞いた青山さんは、その本誓寺の歴史的由来を次のように受け止めています。

 すなわち、「深い感動の中に、私はこの話を聞きました。一般的にいえば、(親鸞聖人さんは、)受け入れ側としては流罪人だから歓迎したくない客。行くほうとしては流罪地だからよいところではないはず。親鸞さまほどの方になると、そんなことはどうでもよいのです。その方の行くところ、とどまるところが浄土になる、お浄土になる。そういうことであったな、と気づかせていただくことができました」〔( )内は引用者によるものです。〕とです。

 さらに、青山さんはそれを次のように敷衍するのです。「思うに地獄、極楽は向こうにあるのではなく、私の心一つ、生き方一つで自ら展開してゆくものであったということに気づきました」とです。その青山さんの気づきは、まさしく宮沢さんの求めようとしていた極楽浄土建設の方向性と同じものであったように感じます。

 では、そうした極楽浄土建設の方向性は、ブッダさん自身の教えの中にはどのように存在しているのでしょうか。青山さんは、「発句経」98がそのことに関わるブッダさん自身の教えであったことを示唆しています。すなわち、「発句経」98は、「村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい」(中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫青302-1)というのが、それです。

 ここまで宮沢さんがめざした仏教の教えとはどのようなものだったのだろうか、という素朴な疑問を自分なりに探索することを通して気づいたことがあります。それは、とくにブッダさんの「発句経」は、宗教という形をまとった生活文化哲学ではないかということです。しかも、それは、ただ一つの絶対的な真理を述べたものというのではなく、その教えを受け止める人それぞれに解釈可能な、全く融通無碍な性格をもった生活文化哲学のように感じます。

 すなわち、100億人の人がいたら、ブッダさんの教えを100億通りに解釈することも可能だと感じます。そのことは、それだけ多くの人たちに影響をもつことができる可能性を、ブッダさんの教えはもっているということでもあると思います。とくに、現代のグローバル社会における経済的利害至上主義的風潮の中で苦しんでいる人たちへの救済の教えとなるように感じるのです。

 宮沢さんもまた、ブッダさんの教えをそのように受け止めていたのではないかと推測します。その宮沢さんがめざした仏教の教えということで言えば、宮沢さんは「楽しむ」ということを重視してブッダさんの教えを受け止めていたように感じます。個人的に言えば、宮沢さんに関心をもつまでは、ずっと、仏教は、人の死に関わる宗教だと思っていたのです。なぜならば、それまでは、葬式との関係のときに現実的に関わることになる宗教というイメージが強かったからです。

 それが、宮沢さんに関心をもつようになって、仏教に関する著作を手にするようになるにつれて、仏教は苦しみ多いこの世の中でいかに生きるか、ということを主題とした生活文化哲学的宗教ではないかというように受け止め方が変わってきました。とくに、宮沢さんは、人生いかに「楽しむ」のかということを重視していたように感じます。それも、宮沢さんがめざした仏教の教えだったのではないかと思います。

 それは、青山さんが示してくれた「発句経」98をたどっていたら、「発句経」99が目に止まったことで、よりいっそうそう感じるようになったのです。「発句経」99は次のような教えです。

 「人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛着(煩悩)なき人々は楽しむであろう。かれらは快楽を求めないからである」〔( )内は引用者によるものです。〕。

 この教えを目にしたとき、宮沢さんがよく山野を歩きめぐっていたというエピソードが心の中に浮かんできました。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン