明治という日本近代の幕開けの時代における文学界で、「新体詩」という詩作における新潮流の旗手のひとりであった島崎さんの「感じたるままに」綴るという「抒情詩」のテーマとはどのようなものだったのでしょうか。今回参考にした筑摩書房刊の『藤村全集第一巻』(2001年新装版第6刷)の付録にあった島崎さんの詩に関する文芸識者たちのエッセーによれば、封建性に対する闘い、恋愛という生命の躍動、新たな戦争時代における生と死の再生、そして期待を寄せていた近代という時代の理想と現実(「近代の疲労と頽廃」)という近代という新しい時代への「人間感情の発現や、時代のモラル形成」(伊藤信吉「最初の魅惑の文学」)というものであったといいます。さらに、島崎さんの詩には、近代という時代や戦争への懐疑という社会性をもったものでもあった(伊藤信吉「最初の魅惑の文学」)のだそうです。
それら島崎さんの詩に関する解説を読みながら、近代化という新たな時代的潮流の中で、島崎さんたちは、新たな文学を創造していくことで、新しい人間生活や社会創造を実現しようとしていたのだなと、感じました。宮沢さんもまた、近代化という新たな時代的潮流を感じ、新たな仏教とその精神に基づく新たな仏国土建設を実現しようとしていたと感じます。しかも、宮沢さんの場合は、文学だけでなく、近代という時代を象徴する科学という武器によって現実の農業生産や経済生活の改善活動にまで踏み込んで、自分が理想とする社会建設、すなわちこの世における仏国土建設を実現しようとしていました。
では、島崎さん自身は、自分の詩をどのようなものとして位置づけていたのでしょうか。宮沢さんの詩や童話の作品の世界を思い浮かべながら、その特徴が重なるところに注目しながら、決して体系的なものにはなりませんが、思いつくまま、アット・ランダムに記述していこうと思います。
島崎藤村さんに関する知識という点では、島崎藤村さんは余りにも有名で、学校教育の中でも必ず学ばなければならなかったこともあり、純文学には全く関心をもっていなかった私でも、名前だけは知っていたという現状にすぎません。今回はじめて島崎さんの詩の作品を、教科書ではなく、全集を手にとってじっくり読むことを経験しました。これも、宮沢さんに関心をもったことによるものです。宮沢さんに感謝です。また、島崎さんはどんな人で、どのような人生をおくったひとなのかについても近くの図書館で借りた本を読みはじめたところです。そんな私ですが、それでも、第一印象にしかすぎませんが、島崎さんの詩を含む文学は、宮沢さんのそれと共通した性格を有していることに驚いています。
例えば、島崎さんも、自らの詩の創作の方法として、自然の発する声に耳を傾け、それを芸術的に表現するという方法を自覚的に採ろうとしていました。その際、芸術的表現とは、美しさを探究し、それをことばに表現してといくということだと記述していたのです。それで、宮沢さんも、自分はただ美しいものを追い求めていただけだと述べていたことを思いだしました。では、島崎さんはそれらのことをどのように捉えていたのでしょうか。島崎さんは、そのことを、詩集『一葉舟』の「葡萄の樹の蔭」の中で、次のように展開していました。
「自然を研究するは詩人が一生の重荷なり、又希望なり。自然なる言葉の中には幾多の意義ありて、人間以外のものといふ廣き心に用ゐらるヽ時あれば、或は造化萬有なる深き心にて用ゐらるヽ時あり。」
「自然は無盡蔵なり、將又味ひありと言ふべきなり、……想像豐かならざれば趣味深からず、趣味深からざれば洞察明かならず、洞察明かならざれば情熱醇ならず、情熱醇ならざれば自然の最深なる聲を聞く能はず、自然の研究も亦た難いかな。」
「吾等何ぞ一歩を新しき自然に轉ぜざるや。夏は來り潮に流れて夕の夢を洗はんことを促す。見よや見よや新しき花あり、新しき星あり、新人となって新衣を着す、また可ならずや。」
「自然に對する哲學は轉々として變ずると雖も、自然は萬古依然として残れり。されば萬葉の詩人にして始めて高烈雄大なる自然の聲を聽き、蕉門の詩人にして始めて幽玄閑寂なる自然の聲を聽きたまひしなり、自然を友とせしといふバアンスにして始めて鼠の歌あり。自然を神とせしといふウォルヅォ―スにして始めて山家の少女の詩あり。吾等は自然の小兒のみ。されば自然を吾等が母として、其間に優和なる、自然となる。將た又温情の溢るヽ思ひを學ばんと願ふ。/書籍を友としてこそかヽる勝手がましき理窟もつくものなれ、葡萄の樹の陰に彷徨して夕べの空の紫の雲に包まるヽ時、嗚呼優和なる自然は人をして心情の淺きを忘れしむ。/苦しめる人に空想といふものを許せかし、空想時としては言ふべからざる慰藉を與ふることあり、悲しめる人に夢を説くことを許せかし、一夢時としては千行の苦涙を拭ふことあり。浮世に泥土塵埃あるを許せかし、泥土時としては美妙なる聲を放ち、塵埃時としては不朽の詩神を寓することあり。」
島崎さんの詩の作品の中で、『落梅集』の「雲」という作品は、まさしく「都を辭して信濃に赴く時」の雲の観察記です。宮沢さんは自然をどのように探究・観察しようとしたのか、またどのように「自然の最深なる聲を聞」こうとしたのか、またまた探究すべきテーマが浮かんできます。
竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン