シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

良寛さんと宮沢賢治さん(6)

良寛さんは、本物の乞食僧としての行脚修行を通してどのような「悟り」を獲得していったのでしょうか。そのことに関して、良寛さんは、道元さんが『正法眼蔵』の中で説いていた、「衣裏懸珠」の喩に示唆されている教えの意義に思いが至ったことで、自分の「…

良寛さんと宮沢賢治さん(5)

道元さんの教えに衝撃を受けた良寛さんは、どのようにして、道元さんの言う「自己をはこ(運)びて万法を修証する」迷いから脱して、「万法すす(進)みて自己を修証する」悟りの道を見だしたのでしょうか。良寛さんは修行の場であった円通寺を去り修行の旅…

良寛さんと宮沢賢治さん(4)

良寛さんは、ここまで見てきたように、円通寺での修行時代、「同僚の弟子の中で道心堅固で修行する者を一人も見出せず、自分こそは悟りに向かって精進」しなければならないという思いに強く縛られていたのです。それは、強い孤独感をともなうものでした。さ…

良寛さんと宮沢賢治さん(3)

良寛さんは、円通寺の修行時代、常に孤独だったといいます。なぜならば、真の真理をめざして修行している良寛さんが、お金まみれの「番々出世」だけを目的として修行している他の弟子の人たちになじめなかったからです。それは、師匠であった「国仙から見て…

良寛さんと宮沢賢治さん(2)

『評伝 良寛』の著者である阿部龍一さんによれば、良寛さんという人物は、幼かったときから「権威や体制の時流に流されない」反骨精神をもち、「自分の理想にそぐわないものははっきりと退けて人生の進路を定め」ていった人であったといいます。また、良寛さ…

良寛さんと宮沢賢治さん(1)

宮沢さんの人生を理解することは非常に難しいと感じます。なぜそのような行動をとったのか、なぜそのような言動をとり、文章を綴ったのか、そしてその基底にある信仰とはどのようなものであったか、とくに仏教に疎い自分には全く理解不能で、謎となっている…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(11)

ここまで見てきたように、1927年8月20日の日付の入った詩の作品群に表現されていた宮沢さんにとっての大きな試練以降の宮沢さんの精神的・身体的状況は、本当に厳しい状況の連続でした。そして、その試練とは、苦しむ衆生を救い岩手の地に仏国土建設を自らの…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(10)

宮沢さんは、自分が住む岩手という地を、何とか自分の働きによって、経済的に支えたいとの思いが強かったのではないかと推測します。なぜならば、当時、その地は、宮沢さんの認識によれば疲弊の極みにあったからです。しかも、その考えは、繰り返しになりま…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(9)

終活の一環として宮沢さんの人生をフォローしていくことで、あらためて宮沢さんのすばらしさの一端にふれることができます。その中で、とくに、宮沢さんのすばらしさは、ただ単に自分の命を削ってまで地域の農民たちの窮状を救おうとしたという人間的な立派…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(8)

ここまで思いつくままに宮沢さんがめざした仏教の教えとは何かについて見てきました。その中で、宮沢さんがめざした仏教の教えの特徴をもう少し体系だって理解するためにはどのような視点で見ていけばよいかという思いが浮かんできました。 とくに、その視点…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(7)

この世に生きている個人が、仏教の教えを修得し、この世に極楽浄土的世界を創造することができるというような教えが、既成の仏教の教えの世界にあるのかな、と思っていたところ、青山俊董さんの『泥があるから、花が咲く』という本に出会ったのです。 青山さ…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(6)

ところで、宮沢さんの、自分は塔を建てる者であるとの矜持はどこから出てくるものなのでしょうか。結論から言えば、この世における「釈尊常在」の『法華経』の教えではないかと推測します。釈尊さんが存在するところ、それは極楽浄土なのです。それは、宮沢…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(5)

宮沢さんが、宗教家に求めたものは、宗教家は芸術家であれ、とくに自分の人生の芸術家であれ、ということではなかったかと感じます。そのためには、自分の「苦」から逃れることばかりを考えるのではなく、自ら「苦」を引き受け、それを乗り超えることで自己…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(4)

宮沢さんに関心をもったことでまだ数は極めて少ないのですが、仏教関係の文献を読んできた限りで言えば、仏教がめざしている「抜苦」における「苦」の捉え方に宮沢さんの仏教に向き合うユニークさがあるように感じます。 例えば、「苦」の原因を、「仏教の思…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(3)

社会学的に見ると、社会における日常生活の中での自他の感情交流における他者の目の内面化よって形成される自我は、それゆえ、自己内自己と自己内他者との関係構造をもっています。すなわち、自我とは全くの個人的な、または個体的なものではなく、自分の内…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(2)

いわゆる煩悩と言われていることを、一般的に見たとき、まず念頭に浮かぶのは、生物学的自己保存本能に関連することがらのように思います。例えば、生きるための食欲や子孫再生のための性欲を含む(いわゆる縄張りを意味する)占有欲や怒りの感情にもとづく…

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(1)

終活の一環として宮沢さんの作品や人生に興味をもったことで、それまで手に取ったことにない多くの文献や、それまで全く関心をもたなかった宗教関係の文献にも接することができ、多くのことを学ぶ機会をえていることに喜びを感じます。とくし、なるほどそう…

宮沢賢治さんがめざしたこの世の極楽浄土像とは(4)

宮沢さんの農民芸術論に関して、社会学的に見てさらに興味惹かれる議論は、「農民芸術の産者」および「農民芸術の批評」論です。なぜならば、それらの議論を社会づくりという視点で見るとき、宮沢さんが何をめざしていたかを明らかにしてくれているからです…

宮沢賢治さんがめざしたこの世の極楽浄土像とは(3)

宮沢さんの筆による浮世絵の通信販売のための広告文で、社会学的に興味を惹かれるのは、日本の古きよき時代の風俗・風習を再興したいとの気持ちが表現されていることです。その文章は次のようなものです。少々長い引用となるのですが、宮沢さんが極楽浄土建…

宮沢賢治さんがめざしたこの世の極楽浄土像とは(2)

宮沢さんは、浮世絵の中にこの世における極楽浄土の風景を見ようとしていたのではないでしょうか。そうした仮説の下で、宮沢さんが書いたという浮世絵の通信販売のための広告文を読んでいきたいと思います。 その広告文のタイトルは、「なつかしい伝統日本江…

宮沢賢治さんがめざしたこの世の極楽浄土像とは(1)

前回述べたように、宮沢さんは、厳しい自然との闘いを教訓に、自分が理想とした極楽浄土建設としての地域づくりの現状とその中での自分の役割について、「もう一度反省し、見直すところから出発」しようとしたと考えられます。そして、その結果、実際に実行…

仏教と倫理に関するジレンマと宮沢賢治さん(3)

宮沢さんは、あまりにも高い大乗仏教の理想とそれを自分自身で実践する道を進むためにその理想を実現するにふさわしい人間にならなければならないとの思い込みから、その理想的自我と、煩悩をもち、その理想を実現するにはあまりにも非力な現実の自我(自己…

仏教と倫理に関するジレンマと宮沢賢治さん(2)

末木文美士さんによれば、人と人との関係を、「善悪の判断」を基礎に律する道徳的「法」としての倫理には、自他関係における矛盾・葛藤・対立・闘争を避けることができないのです。末木さんは、そうした視点でさらに、宗教と倫理、具体的には仏教と倫理との…

仏教と倫理に関するジレンマと宮沢賢治さん(1)

ここまで主として1927年に宮沢さんが直面した試練に関する同年8月20日付の作品を参照してきました。ではその作業から宮沢さんに関する何を見出すことができるのでしょうか。この問いに対しては、以下の3点をあげることができるのではないかと思います。第一…

「藤根禁酒会へ贈る」

1927年8月20日の試練を経て、宮沢さんは、自然との闘いに関してはもはや自分の出る幕ではないと悟ったのではないでしょうか。1930年4月4日付の高橋武治さん宛の手紙の中で、宮沢さん自身、当時自分が傲慢であったことを告白しています。それは、次の手紙の文…

「〔二時がこんなに暗いのは〕」

宮沢さんは、自身が肥料設計した稲を次々と倒しながらうちつづく雷をともなう冷雨の中をさまよい歩いています。そのときに見た農民の人たちの生活の心象風景とはどのようなものだったのでしょうか。『春と修羅第三集』における「〔二時がこんなに暗いのは〕…

「〔もうはたらくな〕」(3)

ここで取り上げている宮沢さんの「〔もうはたらくな〕」という詩は、宮沢さんの肥料設計という活動が、(気候変動を含む)地域の自然および農家経営の実情を熟知し、それらへの対策および改善法として確実な見通しと自信をもって臨んだものではなかったこと…

「〔もうはたらくな〕」(2)

宮沢さんの父政次郎さんは、息子である賢治さんを傲慢であったと評していたと言われています。宮沢さんに興味をもち、宮沢さんに関する著書を読み、はじめてその指摘を目にしたとき、とても信じられませんでした。どのような意味で、政次郎さんは賢治さんの…

「〔もうはたらくな〕」(1)

この「〔もうはたらくな〕という作品は、『【新】校本宮澤賢治全集』の中の作品番号1088番の作品です。ここではこの作品の主題をどのようにとらえたらよいかについて考えていこうと思います。この点に関して、これまでも参照してきました旺文社文庫の『宮沢…

「和風は河谷いっぱいに吹く」

この「和風は河谷いっぱいに吹く」という作品も、宮沢さんが、自分が信じている宇宙世界を律している「透明な意志」の偉大な力に頼って、直面している困難な事態が一瞬で解決するような奇蹟が起こることを祈っている(願う)作品です。 奇蹟よ起これ、そして…