シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんがめざした仏教の教えとは(5)

 宮沢さんが、宗教家に求めたものは、宗教家は芸術家であれ、とくに自分の人生の芸術家であれ、ということではなかったかと感じます。そのためには、自分の「苦」から逃れることばかりを考えるのではなく、自ら「苦」を引き受け、それを乗り超えることで自己の芸術家としての人生の花を開かせよと自分に言い聞かせたのではないかと思います。

 (ただ、蛇足となりますが、上述の「自分の『苦』から逃れることばかり考えるのではなく」という文章は、宮沢さんはそのように考えていたのではないかという推測です。社会学的に見ると、自分の「苦」と自分自身をひたすら見つめ、自分の人生をどう生きるかを探究する人と、それを社会的に支える人たちがいる、または社会となっていることは、結論だけから言えば、社会学的には非常に素晴らしい社会と個人との関係が生まれている社会だと評価できるのです。)

 そのためには「発句経」の243から245までのブッダの教えで自分を律する道を選ぼうと、宮沢さんは考えたのではないかと考えます。「発句経」の243の教えは、「無明(むみよう)こそ最大の汚れである。修行僧らよ。この汚れを捨てて、汚れの無き者となれ」というものです。

 「発句経」244の教えは、「心のよごれた者(ひと)は、生活し易い」です。「発句経」245の教えは、「真理を見て清く暮す者(ひと)は、生活し難い」です。『超訳ブッダの言葉』の著者である小池龍之介さんは、「発句経」の244と245のそれらの教えの意味を、次のように超訳しています。

 小池さんは、「発句経」244に「容易(イージー)な道を選ぶ人」という表題をつけています。そして、「かれらは、自分の心を向上させようとする難しい道のりを捨てた。堕落しつつ苦しみを増やしてゆくという、安易(イージー)な道を選んだのだから」と超訳しています。

 「発句経」245には、「困難(ハード)な道を選ぶ人」という表題をつけています。そして、「かれらは自分の心とわたり合い、苦しみを取り除いてゆこうとする大冒険の道をあえて選び取った。それゆえその人生は、困難(ハード)で挑戦しがいのあるものとなる」と超訳するのです。

 小池さんの、「発句経」244と245のそれらの超訳には、「苦」のパラドックスが存在しています。「安易な道」を選んだ人は、「苦しみを増やし」、その苦しみを取り除くために「困難な道」を選んだ人も、生きる苦しみからは逃れることは出来ず、困難な人生となるというパラドックスです。やはり、誰であっても、生きる「苦」からは逃れられないのだと感じます。

 ただ、「困難な道」を選んだ人は、自分の死に直面したときに、自分の人生を振り返り、充実感をもって自分の死を受け止めることができるようになるような気がします。終活中の身からそのように感じます。

 また、宮沢さんは、「困難(ハード)で挑戦しがいのある」道を選んだのだなと、あらためて感じます。すなわち、小池さんが、「発句経」245の超訳で、「自分の心とわたり合い、苦しみを取り除いてゆこうとする大冒険の道」という文章は、宮沢さんの『春と修羅』の中の「春と修羅」の冒頭部にある「おれはひとりの修羅なのだ」という一文が、これから「大冒険の道」を選択し、歩んでいくことのへの宮沢さん自身の宣言文ではなかったか、ということを推測させてくれます。

 そして、「おれはひとりの修羅なのだ」という一文をそのような意味であると受け取るならば、その一文には、宮沢さんの「塔を建てる者」としての矜持が表現されていたのだな、との解釈もできるように感じます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン