シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

『春と修羅』を読んでみる(7)

 死後の世界ではない、今生きているこの世に仏国土、すなわち「無量寿経」に云う「かの〈幸いあるところ〉という世界」を建設しようとする人は死後どのようになっていくものなのでしょうか。

 この世は無常であり、誰も死を免れることのできる人はいません。それが天の摂理であり、宇宙の真理なのです。だから、いくら「いつまでもいつまでも永遠にいっしょにゆこう」と約束していたとしても、いずれは死別しなければならないことは分かっていたはずなのです。

 ただ死は無常道を歩んだ人には単なる消滅でも、滅びでもありません。死とは私という存在としては終わりを迎えるのですが、宇宙真理に合一することによって永遠の命を得ることでもあるのです。宮沢さんは、理屈ではそう信じていたのではないでしょうか。

 また死後の世界に極楽浄土があると信じている人たちにとっても死は恐れるものではなかったのではないでしょうか。なぜならば生前極楽浄土があることを信じ、死後その仏国土へいけることへ祈りをささげてきたはずのものだからです。

 道元さんは師の死に立ち会うことより宇宙真理の探究のための修行を優先させることを説いていました。親鸞さんも、「父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候わず」(『歎異抄』)だったのです。

 宇宙真理に合一するか、極楽浄土へ行くかを決めるのは、いずれにしても死にゆく本人次第のはずなのです。しかし、社会学的に見れば、死とは死にゆく本人だけの問題ではなく、むしろ死にゆく人を見送り、死にゆく人との永遠の別れを迎えなければならない親しい人たちの心情をどのように慰めたらよいのかの問題でもあるのです。

 以前道元さんの生涯を描いた「道元」という映画を見ました。その中で、飢饉の中いまにも死にそうになっている赤ちゃんの命を仏の力で救ってほしいと、道元さんがその赤ちゃんの母親から懇請されるシーンがありました。

 道元さんはその母親に、同じような状況になって助かった赤ちゃんがいる者を探し出し、そのものからコメのとぎ汁をもらい、自分の赤ちゃんに飲ませてあげれば助かると諭します。しかし、その母親は一人としてそうしたものを見つけ出すことはできなかったのです。

 すなわち、その母親の赤ちゃんの死は運命であり、自然・天の摂理だったのです。そのことを母親に知らせるために先のような諭し方を道元さんはしたのです。その上で、道元さんは死んでしまった赤ちゃんを抱きしめ、ただひたすら涙を流しつづけるのです。映画を見ていてこのシーンがとても印象的だったことを覚えています(シーンの紹介はその通りではなかったかもしれませんが)。

 ところで道元さんが流した涙の意味はどのようなものなのでしょうか。生まれてすぐに死ななければならなかった赤ちゃんを憐れに感じたということなのでしょうか。それもあるでしょうが、産んですぐに自分の赤ちゃんの死を見送らねばならなかった母親の哀しい気持ちを察し、共感をよせたことによる涙でもあったのではないかと思います。そして、そのことが赤ちゃんの母親の気持ちを少しでも安らかにしてあげることにつながったのではないかと思います。

 そのシーンの道元さんの立ち位置と比較すると、最愛の妹トシさんの死に直面している宮沢さんの立ち位置は非常に複雑です。まず自分自身が自分とって大切な、しかもただひとりのみちづれの人と永遠に別れなければならない悲しみと、淋しさを抱えている当事者です。

 と同時に、菩薩道を歩もうとしている者としては、トシさんの死に直面し、自分と同じように悲しみと淋しさを抱えているであろう自分以外の当事者たち、すなわち宮沢さん以外の家族のひとたちの心情に寄り添い、少しでもそれらの人たちの心を慰撫してあげなければならない立場でもあったはずです。

 しかし、そうしようとすると、ひとつの大きな問題が生じます。なぜならば、宮沢さん以外の家族は皆、トシさんが死後に極楽浄土へ行けることを強く願っている者たちだったからです。現世に極楽浄土を建設しようとしている宮沢さんはそうした家族の心情に共感し、寄り添うことが、理屈の上ではできないはずです。

 しかし、これは推測になりますが、宮沢さん自身も妹トシさんが死後極楽浄土へ行くことを願う気持ちが湧き上がってくることを禁じえないでいたのではないでしょうか。さらに、トシさん自身の心情はいかばかりであったでしょうか。

 トシさんにとっては宮沢さんも、宮沢さん以外の家族もともに大切な人たちであったはずです。しかし、自分の死後について相反する願いを抱いているのです。トシさんはそれをどう受け止めて死という旅にでればよいのでしょうか。

 作品「無声慟哭」の冒頭には宮沢さんのトシさんのそうした心情をおもんばかっている気持ちがつづられています。

 「こんなにみんなにみまもられながら

  おもへはまだここでくるしまなければならないか」

 しかも、このとき宮沢さんは自分自身確固とした死後観が定まっていないことをいやというほど知ることになるのです。なぜならば自分はいまだ修羅の道にいる存在でしかなかったからです。現世に「かの〈幸いあるところ〉という世界」を建設している菩薩として確信をもってトシさんを見守り、死後の世界に導いてあげることができないのです。そのため、宮沢さんはトシさんがどのようにして、どこの世界に行こうとしているのか見えないでいたのです。

 「ああ巨(おほ)きな信のちからからことさらにはなれ

  また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

  わたくしが青ぐらい修羅(しゆら)をあるいてゐるとき

  おまへはじぶんにさだめられたみちを

  ひとりさびしく往かうとするか

  信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが

  あかるくつめたい精進(しやうじん)のみちからかなしくつかれてゐて

  毒草や蛍光菌(けいくわきん)のくらい野原をただよふとき

  おまへはひとりどこへ行かうとするのだ」

 最愛の妹トシさんの死に目に立ち会いながら、まだ修羅の道の途上にいる自分の情けなさ、くやしさと、不甲斐なさに宮沢さんは悔やみ、苦しんでいたように感じます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン