シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

『春と修羅』を読んでみる(6)

 宮沢さんは、最愛の妹であるトシさんの死に直面し、『春と修羅』に掲載されている「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」、「青森挽歌」、そして「オホーツク挽歌」という一連の作品を創作しています。それら一連の作品群は、『春と修羅』への厳しい批評を行っている中村さんも秀逸な作品として評価しているものなのです。

 これらの作品についてはこれまですでにあまたの人たちにより紹介・論評・研究されてきており、さらに屋上屋を重ねる必要はないように思います。そこでここでは、宮沢さんと妹のトシさんとの関係とはどのようなものであったのかについてそれらの作品をも通して読み解く試みをすることにしたいと思います。

 結論から先に述べておくとするならば、トシさんは宮沢さんにとって人生上唯一の(宮沢さんとはどのような人で、何を考え、何をしようとしている人なのかについての)理解者であり、同伴者となりえる人だったのではないでしょうか。

 そのトシさんの死に宮沢さんは直面しなければならなかったのです。そのときの宮沢さんが感じなければならなかったさびしさとはいかばかりであったでしょうか。心友である保阪さんと袂を分かち自分一人で菩薩道を歩まなければならなくなったときでさえ、ものすごい孤独感を宮沢さんは感じていました。その魂の叫びが、「小岩井農場」という作品の中にるるつづられていました。

 だれからも認められることなく、むしろ奇人変人と思われたり、軽蔑されたりする他者の視線を浴びながらただひとり自分の信じる道を歩みつづけることの中で感じる孤独感は他人の想像を絶するものがあるようです。ここで横道に逸れますがトルストイさんもその孤独感を味わったひとりです。

 トルストイさんの「悪に酬(むく)いるに悪をもってせずということについて」と題するある人への書簡の書き出しにその孤独感が表明されています。

 「私は、あなたが私にとって非常に近しい方であり、私が心からあなたを愛しているのを感じ」ます。「どれほど私が孤独でいるか、真の『私』であることがどれほど周囲のすべてから軽蔑されているか、はご想像もつきますまい」。

 「最後まで耐え忍んだ者が救われるということは承知しています」。また、「永遠なる神の真理の仕事にあっては、人間には、ことにおのれの短い生涯の短い期間においてはおのれの仕事の成果を見る権利は与えられているはずのないことも承知しています」。

 「でもやはりときどき淋しい気になります。だからあなたにお会いして、あなたのうちに私にとともに同じ道を同じ目的に向かって真剣に進んでゆく人を見いだしたいという、ほとんど確信に近い希望は私にとってじつに喜ばしいものなのです」。

 ある人にたいする自分の淋しい気持ちのそうした告白は、トルストイさんの孤独感をはきだす魂の叫びだったのでしょう。妹トシさんの死に直面した宮沢さんは、そうした叫びを受けとめてくれる唯一の人を失うことになってしまったのです。

 また逆もまた真なりで、妹トシさんにとっての理解者と同伴者は唯一自分ひとりだけだと、宮沢さんは考えていたのではないかと思います。「無声慟哭」という作品の中で、トシさんとの関係を、「信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくし」と表現しています。

 宮沢さんとトシさんとの関係を論じているさまざまな言説を目にするとき、いつも映画寅さんにおける「寅さん」とその妹「さくらさん」との関係が頭に浮かんできます。映画の主題歌には寅さんのさくらさんへの熱い思いが謳われています。

 「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ

  わかっちゃいるんだ 妹よ

  いつかおまえの よろこぶような

  偉い兄貴になりたくて

  奮闘努力の甲斐も無く

  今日も涙の日が落ちる日が落ちる

 

  ドブに落ちても 根のある奴は

  いつかは蓮(はちす)の花と咲く

  意地は張っても 心の中じゃ

  泣いているんだ 兄さんは」

 二番目の歌詞の文句はトシさんの死に直面したときの宮沢さんの心情を表しているように感じます。たった一人のみちづれだと信じている自分が死に直面し、闘い、苦しんでいる妹に元気づけてやるための一言さえも口にすることのできない不甲斐なさと申し訳なさ、そして淋しさを、宮沢さんはそのとき感じていたのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン