シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

「蒼冷と純黒」は何を求めようとした作品だったのか

 トルストイさんが与えた影響を軸に宮沢さんの「思想と生涯」を探究しているのが柴田まどかさんです。柴田さんはその成果を、『宮沢賢治の思想と生涯 南へ走る汽車』の著作に表しています。

 その中で、柴田さんは宮沢さんのトルストイさん(の作品)との出会いとその意義に関し、次のように論じています。帰花後の宮沢さんの生涯を考察するのに非常に有効だと思いますので、長い引用となりますが、煩を惜しまず全文紹介しておこうと思います。

 「トルストイの全集が日本で刊行されたのは、一九一九年から翌年にかけての春秋社版が最初であった。一九二一年(大正十)初夏の頃に賢治は当時の帝国図書館、現在の国立国会図書館支部上野図書館で読んだと推測される。トルストイとの作品を通じての出会いが、賢治のその後の半生を形作ったといっても過言ではない。自らの信仰を文学を通して伝えると共に、人と人とが思いを伝えあうものとして芸術を認識し、農村の子弟のために実際の農業に役立つ豊かな教育をおこなったこと。更に、教職をなげうって向かった羅須地人協会の実践。これらの基底にはトルストイの思想と実践的生涯への共鳴があった。さらに言うならば、仏教もキリスト教もその教えの言わんとするところはひとつであることを感じ確信した感動が、そこに大きく存在したのである。賢治を新たな実践へと向かわせた大きな力は、宗教の違いも国の違いも越えて人の求め願うものはひとつであることを確信したその大きな感動であった」のですと。

 宮沢さんに関する研究は宇宙的規模の数ほど存在しており、今のところそれらのほんの一部だけしか参照することができていなのですが、トルストイさんの影響との関係で、宮沢さんの「思想と生涯」および作品を体系的に論じているものは、上記の柴田さんの著作が初めてでした。個人的には大いに刺激を受け、参考になり、感謝の念に堪えません。

 では、柴田さんは、帰花直前の1921年8月ころに「賢治が書いた戯曲断片『蒼冷と純黒』」をどのように位置づけていたのでしょうか。それは、帰花後の宮沢さんの人生を理解する上で重要となる作品ではないかと考えられるのです。国柱会を去ったあとどのように生きたらよいか悩んでいた宮沢さんに、「さらば われら 何をなすべきか」という問いにこたえをだすための一筋の光を投げかけてくれたのがトルストイさんだったのではないでしょうか。

 結論から先に紹介しておけば、国柱会を去ったあとの人生をトルストイさんと共に歩む決意を表明した作品が、「蒼冷と純黒」であると柴田さんは見ていました。柴田さんは、宮沢さんのその思索の道筋を次のように紹介しています。

 まず「仏教徒ではなくキリスト教徒の中に自分と同じ理想を抱き実践した者を発見した賢治の精神的混乱と苦悩が」あったと言います。しかし、同時に、「異なる国の異なる宗教を持つ者の中に、自分と同じ視点で貧しい人々を見つめ、なおかつそうした生き方を貫いた人がいたという事実は、賢治にとって新鮮な驚き」だったのです。

 さらに、トルストイさんの生き方に素直に新鮮な驚きを覚えることのできた宮沢さんには、「人の心に宿る美しい精神の存在を信じる」という共通の心があったからではないかと柴田さんは論じています。その上で、「人々皆の幸せを願い、現代社会の中で実践する姿勢が、何よりも彼ら(宮沢さんとトルストイさん)二人に共通するもの」[( )内は引用者によります。]なのです。

 柴田さんによれば、そのように、「法華経の教えこそが唯一絶対のものと確信していた賢治に対し、国や宗教の違いを越えてその求めるものの変わらぬことを伝えたのがトルストイ」さんだったのです。

 そして、宮沢さんは、それ以降、精神的にはトルストイさんと共に人生を歩むことを決意したのです。その決意を表明しようとしたのが、「蒼冷と純黒」という作品なのです。そこに「書かれた『純黒』とは賢治の心であり、『蒼冷』とはトルストイの心」なのです。

 そうした柴田さんの議論に出会い、ああなるほどそうした理解の仕方もあるのかと率直に感心しました。とくに、「人々皆の幸せを願い、現代社会の中で実践する姿勢」をもつだけでなく、どのように実践していったらよいのかについてトルストイさんからヒントをえたのではないでしょうか。法華経の言葉で言えば、国柱会においては失われてしまっていた仏国土建設のための「行」をいかに取り戻したらよいかについて、宮沢さんはトルストイさんからヒントをえたように思えます。

 とすると、「蒼冷と純黒」をどのように位置づけたらよいのでしょうか。これまで読んできた宮沢さんに関する著作では、「蒼冷と純黒」は宮沢さんと心友保阪さんとの恋愛的関係を念頭においたものと論じられていました。すなわち、「蒼冷」は保阪さんを、そして「純黒」は宮沢さんを表していると理解されてきたのです。このことをどのように考えたらよいのでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン