シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(8)

  古代人の観念によれば、死後に三途の川を渡るのではなく、東または西に向けて空を飛んでいくのだそうです。しかも、「死者が西に向かうのは、浄土が西に向かうのは、浄土が西にあるためではなく、太陽神に導かれて西に向かった魂は海底の穴を抜け、あの世の東から日の出とともに海上を歩いて祖先の住む裏側の世界の島に着くため」だったのです。東に向かう死者の魂も同様です。このように、東西に向かう死者の魂は、古代人にとって最高神によって導かれ、祖先の魂の住む島に着くものと信じられていたのです。沖縄の先島社会では、その島とは、池間島と信じられていたようです。そのために、池間島は、地域の人たちから、永遠の楽園かあつ理想郷で、神聖な島とも考えられて来たといいます。

 ここまで松居さんの古代人の宇宙観を参照してきましたが、死後の世界に関する観念が非常に多様であることに驚きました。宮沢さんの詩後の世界に関するイメージも個性的で、ユニークだったのではないかと推測できます。言えることは、宮沢さんの死後の世界観については、日本における山岳信仰の影響を受けていたのではないかと考えられるのではないでしょうか。山岳信仰の影響を受けて生活していた庶民たちは、死者たちは近くの山にゆき、そこで祖先神になり、続く世代の人たちの安心、安全、平和と豊穣、そして幸せを願っていたと考えられていたと言われてきました。死後死者たちは、往生し、山に登り、祖先という神となると信じられていたのです。そう言えば、宮沢さんの詩や童話の文学作品では、登場人物他は、死後ほぼ決まって天空の方向を向かっていたのではないかと思います。地底やましてや地獄に向かう場面はほぼ無かったと思います。そうしたことに、宮沢さんの死後の世界観の特徴が示されているのではないかと考えられるのです。

 ここまで、終活の一環として、宮沢賢治さんの文学作品をどのように読みすすめたらよいかにについて考察を進めてきました。その結果、ようやく自分オリジナルな読み方で宮沢さんの文学作品に向き合うことができるのではないかという所までいきついたと感じます。これからは、その読み方で、時間をかけ、じっくりと宮沢さんの作品に向き合っていこうとかんがえます。そこで、これまでのスタイルでのブログはここで一端終わりにしたいと思います。その代わり、新しいスタイルでの学びの旅日記を発信していければと考えています。それまで少し時間がかかると思いますが、再会お待ちいただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。

 

                竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン

宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(7)

 ここでは、古来の庶民による死後の世界観とはどのようなものであったか確認する作業を進めていこうと思います。そのための文献として、ここでは、松居友さんの著書『沖縄の宇宙像 池間島に日本のコスモロジーの原型を探る』洋泉社、1999年を参照させていただこうと思います。松居さんは、言います。「古代における宇宙像は、あきらかに近代の宇宙像とは異なっていた。」とです。では、古代の宇宙像とはどのようなものだったのでしょうか。それは、松居さんによれば、「宇宙は神界、人間界、霊界と呼ばれる三界が、ちょうど重箱か鏡餅のように三層または三段重ねになってできているというのがその基本である。また黄身をまんなかした卵のような形でもあると考えられていた。」のだそうです。

 さらに、「神界と霊界は、一般の人間の目に触れることはない。なぜなら神界は天蓋の上であり、霊界は地殻の下だからで、その意味では見えない世界であるが、確実にそこにある神や祖先が住んでいると考えられていた。天蓋や地殻に無数の穴があって、魂や霊や神はこの穴を抜けて行き来すると考えられていた。天蓋の穴は星であり、地殻の穴は洞窟や井戸である。」

 「神や霊は、しばしばこれらの穴をくぐり抜けて出てきたり、天蓋の穴から下界を見下ろしたりする。星は神々の見下ろしている穴であり、神々の目であると古代の人々は考えていたので、天蓋からたえず見下ろしている神々の目を欺いて生きることはできないと感じていたのである。」

 では、神々が住む天空会界とはどのような風景なのでしょうか。また霊界の風景とはどのようなものと考えられていたのでしょうか。前者に関して、松居さんは、次のように描写しています。すなわち、天蓋の上に「神々の世界がある。天の星の穴を抜けると、そこには高い山を中心に美しい湖が広がり、明るく輝いた神々の住む世界がある。ギリシャ神話もエジプト神話もインドや中国の説話も、こうした天の神々の住む山や湖や海について語っている。神々は天界で、宇宙全般のさまざまなことがらを語り合い、誕生と死、豊作や凶作といった森羅万象の運命を決定する。いわゆる天命が決められる場が天界である・」とです。

 以上のように古代人の社会意識にあった天空界の景色は、仏教思想における極楽浄土の景色とは異なるもののようです。では、一般庶民の死後の世界である地殻の下の霊界の景色とはどのようなものだったのでしょうか。地獄的景色のようなものだったのでしょうか。松居さんによれば、それは以下のようなものでした。それは、古代人の宇宙観では、「人間の立つ大地の裏側には死者の世界がちょうど逆さまに存在していて、この世とあの世は大地と海とを間にしてあべこべに横たわっているのである。それゆえ、この世の死者の魂があの世に向かうためには海にもぐったのちにさらに海底にできた穴をくぐり抜け、あの世の海からあの世の海から裏側の世界に抜けなければならない。」のです。

 しかも、その道筋は、「最高の神である太陽神の(東からのぼり、西の海に沈んでいく)道行と同様で」〔( )は引用者によるものです。〕、この道筋を通ることで、「太陽はこの世とあの世を交互に照らす」ものと考えられていたというのです。以上のように、古代人のあの世の世界観においては、あの世の世界でも、太陽に照らされている世界だったのです。しかも、あの世に行った死者の魂は祖先神になる場合があるという考え方も存在していたと言います。それらの考え方がいかに仏教思想が示すあの世の風景と異なっているか、驚くばかりです。また、それは決して地獄の風景とは違っていますが、アイヌの人たちの間には、これまで見て来た世界だけでなく、霊界には二つの世界があり、その一つは悪霊を罰するための空間世界なのだそうです。すなわち、「そうしてその世界ははなはだしめっぽい場所で、悪人が死ぬとその行き刑罰を受ける。」のです。

 松居さんの古代人の宇宙観の論考で、現在の仏教思想における極楽浄土観とは異なっる古代人の観念が紹介されています。

 

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宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(6)

 死を迎えたよだかは、その後、どのような運命をたどったのでしょうか。宮沢さんは描きます。少々長い引用になるのですが、よだかが往生・成仏できたのか、できなかったのか、もしできたのならば、それはどのような状況の中でできたのかをしるためにも、煩を厭わず宮沢さん自身の文章で確認しておきたいと思います。最后を迎えると、

 「もうよだかは落(お)ちているのか、のぼっているのか、上を向いているのかもわかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血(ち)のついたおおきなくちばしは、横(よこ)にまがってはいましたが、たしかに少しわらっていました。/それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美(うつく)しい光になって、しずかに燃(も)えているのを見ました。/すぐとなりは、カシオピア座(ざ)天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。/そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでもいつまでも燃えつづけました。今でもまた燃えています。」

 以上のように、宮沢さんは、超凡夫であるよだかがみごと天空の永遠に光輝く星となってその一生を遂げるというエピローグで「よだかの星」という童話をしめくくったのです。それは、超凡夫のよだかの往生し、極楽浄土に召された成仏物語です。めでたし、めでたし。しかし、「よだかの星」は、ただそれだけの意義をもつだけなのでしょうか。これも仮説なのですが、「よだかの星」という童話おいて、宮沢さんは、既成の仏教思想における往生・成仏観を批判し、自分の往生・成仏観を提示するという挑戦的試みをしようとしていたのではないかと考えられるのです。

 その挑戦の内容とは、既成の仏教思想における往生・成仏観における全く真逆の二つの往生・成仏観を批判し、宮沢さん独自の往生・成仏観を提示するというものではなかったかと考えます。その一つは、ほんの一握りの人だけしか往生・成仏し、極楽浄土にいくことができないという思想です。例えば、前述した九品九生思想などがそれに該当するのではないかと思います。もう一つが、例えば、南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰もが往生・成仏し、極楽浄土にいけるという思想です。宮沢さんはそうした二つの往生と成仏の思想を、共に否定しようとしたのではないでしょうか。

 では、宮沢さんは、どのような往生・成仏観を提示しようとしたのでしょうか。宮沢さんは、基本的に、人は皆、生きているときから、菩薩であり、仏であると捉えていたように思います。すなわち、人は、「正邪一如」世界のこの世では、一面で仏教のいう悪業に手を染める存在ですが、他面では、必ずや菩薩・仏的おこないを、それがどんなにささやかなものであってもしている存在であるとも考えていたのではないかと考えます。たとえそれが死に際にこれまで犯してきた自らの仏教思想でいう悪行に気づき、悔い改めるというこういであってもです。

 一般的に、人は死後どのような世界へいくものなのでしょうか。日本の場合、それは、極楽浄土か。または地獄であると観念されているのではないかと思います。死後、まず三途の川を渡り、閻魔大王のもとにいきます。そこで、死者の生前のおこないが裁かれることになります。その判決によって死者は、それぞれの生前おこなってきたことによって、異なる世界へといかなければなりません。とくに、生前のおこないの悪いものは、「地獄道、餓鬼道、畜生道」という「3つの苦しみの世界」すなわち「三悪道」へいかなければならないと言われています。

 また、そうした観念とは異なる庶民生活由来のあの世に関する社会意識というものがあるようです。それは、どのような社会意識なのか、まず確認しておきたいとおもいます。

 

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宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(5)

  「よだかの星」という童話のメインテーマとなる、鷲の星のよだかに対して投げつけたことばとはどのようなものだったのでしょうか。そのことばは、よだかが自分を天空の星のもとにつれていってほしいとの願いを伝えた際に鷲の星が発したことばです。それを宮沢さんは次のように綴っていました。すなわち、「鷲は大風に言いました。/いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応(そうおう)の身分(みぶん)でなくちゃいかん。またよほどのお金もいるのだ。」とです。

 この文章を読みながら、ごく最近見たあるテレビ番組が頭に浮かんできました。それは、10月25日のNHKの歴史探偵「平安の浄土信仰“終活”ブームの謎を追え!」という番組です。そこでは、平安時代貴族階級の中で大流行していた終活の様子が紹介されていたのです。そのキッカケは、源信さんが著した『往生要集』の出版だったとのことでした。当時、無事往生し、極楽浄土にいくことは、非常に難しいことと考えられていたというのです。源信さんが著した『往生要集』そのための指南書として多くの貴族階級の人々の注目を浴びたというのです。

 同時に当時、一般的な庶民階級の人々にとっては、往生し、極楽浄土への道を閉ざしかねない仏教思想が流行していたのだそうです。それは、「九品九生」という思想です。この思想によれば、一般的にも非常に難しいと考えられていた、往生し、極楽浄土にいくためには、これも非常に難しい数々の条件を見事にクリアしなければならなかったのです。例えば、往生し、極楽浄土にいくことを望むならば、死ぬ大分前から自分が極楽浄土へと旅立とうとしているイメージを積むなどの修練をおこないつつ、さらに極楽浄土へと旅立つことのできる重要な一つの要件である大金をかけた寺院建立などの功徳を積んでいかなければならなかったのです。

 さらに臨終時の際の「往生儀礼」と呼ばれる諸条件も決して容易なものではなかったようです。すなわち、臨終の際には当人を極楽浄土に連れていってくれる阿弥陀仏との縁を結ぶため、阿弥陀像から出ている五色の糸を祈りの手のひらに挟み、自分の往生を祈らなければならないのです。また、無事往生するには、徹底的に穢れを避け、我が身をきれいにしておかなければならないという条件も重要だったようです。そのために臨終を迎えると、沐浴し、鼻毛を抜くことをした人もいたというのです。

 そうした仏教思想を基準にすれば、鷲の星がよだかに投げつけたことばの意味がよく分かります。そして、宮沢さんがなぜよだかのみにくさをあれほどまでに強調していたのか、その理由も分かります。よだかは、全く往生し、天の世界にある極楽浄土へいくための資格を欠いている典型的な存在だったのです。しかも、死ぬ間際まで殺生をつづけ、穢れに穢れた存在でもあったのです。天の世界に存在しているものたちから拒絶されるのももっともな存在、それがよだかだったのです。

 では、この物語は、どのような結末を迎えたのでしょうか。宮沢さんは、この物語のエピローグを次のように描きました。まず、よだかは、鷲の星の投げつけたことばに「すっかり力をおとしてしまって、はねを閉(と)じて、地に落ちて行きました。」よだかは、もはや、天に行くことを諦めたのでしょうか。違います。よだかは、もはや天の星たちに頼むのではなく、自らの力で、再び天に上る試みにチャレンジするのです。「夜だかは、どこまでも、まっすぐに空にのぼって行」ったのです。

 「寒(さむ)さにいきはむねに白く凍(こお)りました。空気がうすくなったために、はねはそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでんでした。/……よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらをみました。そうです。これがよだかの最后(さいご)でした。」とです。では、よだかは、希望であった天空の星となることはできたのでしょうか。

 

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宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(4)

 自らの死への旅路の中でのよだかの悲劇的な気づきに関して、宮沢さんは、次のように描いています。「夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐにそれを呑(の)みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。/東の方だけが山やけの火が赤くうつって、恐(おそ)ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、またまたそらにのぼりました。/また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉(のど)をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理(むり)にのみこんでしまいましたが、その時、急(きゆう)に胸(むね)がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣(な)き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。」

 この文章は、いわば、よだかがそれまでは自分が無意識におこなってきた、仏教的な意味での悪行の罪深さを悟った瞬間の描写でもあります。ではこのときのよだかの胸中とはどのようなものだったのでしょうか。宮沢さんは、この文章につづけて、( )つきの文章として、次のように描きました。すなわち、

 「(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕(まいばんぼく)に殺(ころ)される。そしてそのただ一つ僕がこんどは鷹(たか)に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(うえ)えて死(し)のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に僕は遠くの空の向(むこ)うに行ってしまおう。)」とです。

 よだかは、その遠くの空の向こうへいく途中、川せみの弟のところに立ち寄り、次のようなことばを伝えています。「僕は今度(こんど)遠いところに行くからね、その前一寸(ちよつと)お前に遭(あ)いに来たよ。」弟の川せみはひとりぼっちになってしまうからいかないでくれと懇願するのですが、よだかは、その願いを振り切り以下のようなことばを残して去っていくのです。それは、「それはね。どうも仕方(しかた)ないのだ。もう今日は何も云わないでくれ。そしてお前もどうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにしてくれ。ね。さよなら。」というものでした。

 この文章が示していることは、よだかが弟である川せみに、いつか自分の悪業に気づき、自分とおなじ苦しみを味わってほしくないと思い、わざわざ弟のところに立ち寄ったのではないかということです。よだかは、弟の川せみに別れを告げ、遠くの空の向こうをめざして飛びつづけていきます。そして、よだかは、飛びつづけることに疲れ果てたとき、お日さまに出会います。よだかは、お日さまに、「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所(ところ)へ連(つ)れてって下さい。灼(や)けて死(し)んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」お願いをするのです。

 お日さまは、次のように応えます。すなわち、「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今夜そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」とです。そこで、よだかは、お日さまの提案を頼りに、すでにふらふらになってしまった体で、自分を星のところに連れっていってくれるよう、星めぐりの旅をつづけるのです。オリオン星、南の大犬座、大熊星、そして鷲の星とです。どの星もよだかの願いに冷たく反応し、けんもほろろに追い返されてしまいます。そして、鷲の星からは、次のような一言を投げつけられるのです。その一言は、この「よだかの星」という童話のメインテーマとは何かを表現するものでもありました。

 

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宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(3)

 宮沢さん探究していたこの世における極楽浄土的景色を、彼の文学作品の中に見出していこうとするとき、宮沢さんの作品を。仮説的に以下の4つのテーマ群に分けて検討していくのが便宜であるように感じます。それらのテーマ群とは、第一に英雄譚としての成仏物語というテーマと考えられるものです。第二に、凡夫の成仏物語というテーマと考えられるものです。第三のテーマとして、生命の躍動や生きていることの喜びやすばらしさの物語があるのではないかと考えられるのではないでしょうか。そして、第四のテーマ群に入るのは、人間世界の「邪正」入り乱れての猥雑世界から離れ、ある意味純粋な自然世界に現れる人間にとって聖域であり、異界世界とも感じられる自然界の風景描写です。

 宮沢さんは、それらのテーマ群に入る文学作品を、自然世界、人間生活世界、そして人間と自然との交流および関係性の世界を心象スケッチ法という観察法でじっくり観察することで、生み出してったのではないかと思うのです。そこで、まず、第一と第二のテーマ群に入ると考えられる作品を見ていくことにしようと思います。

 それにしても、詩や童話など、宮沢さんの文学作品には、死をテーマとした作品が決して少ないことに気づきます。しかも、それは単に死そのものというよりも、死に方の問題、すなわち人は自らの死をどのように迎えるのか、そのことをテーマとしているように感じるのです。そのことの意味していることは、ここでも上記の問題意識の視点で見ると、宮沢さん自らが求める成仏道をどのように捉えていたかが、それらのテーマが示唆していると考えられるのではないでしょうか。これまで出会ってきた文献に限られるのですが、宮沢さんの文学作品は、自己犠牲をテーマにしているという特徴があると言われてきたように思うのです。そのことも、実は、それらの作品を創作することを通して、自らの成仏道を探究していたのではないかと思われるのです。また、蛇足にはなるのですが、宮沢さんの作品の中で、「川にはいる。または「川におちる」などのことばがでてきますが、それらのことばは死を意味する隠語として利用されているのではないかという気がします。

 では、以下、宮沢さんの具体的な作品に即して、ここまでの問題意識の視点で見ると、その作品をどのように鑑賞することができるのかについての検討をしていこうと思います。最初に取り上げる作品は「よだかの星」〔宮沢賢治銀河鉄道の夜』角川文庫、2016年(改訂37刷版)所収。〕です。この作品は、「よだかは、実(じつ)にみにくい鳥です。」という作品冒頭の一文から始まります。その一文からも、この作品は、上記のテーマ群分類によれば、第二の凡夫のテーマ群に入る作品ではないかと推測できます。

 よだかは、童話の中では、他の鳥たちから、「ヘン。また出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間(仲間)のつらよごしだよ。」と、軽蔑され、蔑まれているのです。おなじ名前をもつ他のタカからは、迷惑がられ、名前を変えなければ殺してやるとまで脅されるしまつです。そうして他の鳥たちから排斥されつづけたことで、よだかは、もう生きることを諦めるのです。何という悲劇でしょう。

 確かに、同じ鳥の仲間からのけものにされ、殺してしまうとまで言われることは、よだかにとって自らこの世から消えてしまいたちと決心させるほどの大きな悲劇です。しかし、よだかは、さらに自らをこの世から消してしまいたいと強く思うほどの、自らの醜さに気づくことになるのです。それは、自分が生きていくために大量の小さな虫たちの命を、そのことを意図的におこなってきたわけではないのですが、奪っていたという事実です。まさに、自ら自らの命を奪おうとするそのときに、その事実に気づくことになったのです。そして、その事実を知ったことが、よだかに、やはり自分はこの世にいてはいけない存在なのだという気持ちを強くさせたのです。

 

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宮沢賢治さんのこの世の極楽浄土世界探究の旅路(2)

 ここからは、宮沢さんの詩や童話などの文学作品を素材として、彼のこの世における極楽浄土的景色の探索旅を、それは決して体系的なものではなく、かなりあらいランダム的なものでしかありませんが、観察していこうと思います。まず、そのための作業のはじめに、その観察のための視点について確認しておきたいと思います。

 その視点とは、旅仲間との四国旅の中で出会ったやなせたかしさんと牧野富太郎さんのことばです。彼らのことばは、宮沢さんが自然に身につけていた感性や、宮沢さんが探究しようとしていたこの世の極楽浄土的景色とはどのようなものかを示唆しているもののように感じさせるものだったのです。はじめに、やなせたかし記念館を訪問した際に出会った彼のことばを記しておきたいと思います。それは、

 やなせたかしさんの子ども時代の経験に関することばです。やなせたかしが子ども時代遠くの街まで遊びに行き、そこで財布を忘れてしまったことに気づくのです。不安と空腹が一挙に襲ってきました。しかし、幸運にも、そんな窮状にあるときに、友人とその家族の方々に出会ったのです。しかも、その人たちは帰りの汽車賃だけでなく、アンパンも買ってくれました。やなせたかしさんは、そのとき、次のように思ったというのです。すなわち、

 「オレンジ色の光の窓を行列させながら走っていった電車の中で食べたアンパンほどおいしい食べものを僕は知りません。(中略)ぼくはその時に思った。本当のスーパーマンは、ほんのささやかな親切を惜しまないひとだと。そういう話をいつかかきたいと子供心に考えたのです」とです。

 このことばにある「本当のスーパーマン」というところを、「この世における本当の菩薩、仏」と読み替えることができるように思います。ささやかな親切や助けの手をさしのべる、しかも、自然に惜しみなくそうした行為をおこなうことができている。まさしく、それこそ、凡夫の菩薩(成仏)道なのではないでしょうか。

 牧野植物園を訪れたことで出会えた牧野富太郎さんのことばも、それらのことばはまさしく宮沢さんの自然への向き合い方を表現しているものではないかと感じたのです。それらのことばとは、以下の通りです。

 「人の一生で、自然に親しむということほど/有益なことはありません/人間はもともと自然の一員なのですから、/自然にとけこんでこそ、/はじめて生きているよろこびを/感ずることができるのだと思います。/自然に親しむためには、まずおのれを捨てて/自然のなかに飛び込んでいくことです。/そしてわたしたちの目に映(えい)じ、耳に聞こえ、/はだに感ずるものをすなおに観察し、/そこから多くのものを学びとることです。」とです。

 さらに牧野さんは次のようなことばも残していたと言います。それは、

 「人生をゆたかに、心楽しく暮らすには/大自然を友とする人でなければなりません/散歩(さんぽ)をしていても、道ばたに咲(さ)いている/草や、林のなかにしげっている木が、/みな自分の知りあいだったらどんなに心楽しいことでしょう。/ふつうの人が、雑草(ざっそう)とか雑木(ぞうき)とか/一口にいって片(かた)づけてしまう草や木にも、/その一つ一つに名があり、物語が秘(ひ)められています。」ということばです。

 それらの牧野さんのことばを目で追いながら思ったことは、自然への向き合い方として、これほどまでに宮沢さんの感性と向き合い方が共通している人がいたのだという驚きでした。とくに、「ふつうの人が、雑草(ざっそう)とか雑木(ぞうき)とか/一口にいって片(かた)づけてしまう草や木にも、/その一つ一つに名があり、物語が秘(ひ)められています。」ということばは、宮沢さんが自然物を主人公として童話作成をおこなっているときの、彼の姿勢そのものを言い表しているものではないかと感じたのです。宮沢さんは、牧野さんが言うように、一般的には全く知られていないか、気にもとめられていない、多くの植物や昆虫たちをも主役にしての物語を創作していたのではないでしょうか。それは、まるでひとり一人の名もなき一般人(びと)すべてを見守り、救済の手を差しのべようとしている仏陀さんそのものの行いなのではないでしょうか。しかも、それは、宮沢さんが新しくめざそうとしていた凡夫の菩薩(成仏)道そのものでもあると思うのです。

 

                竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン