シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

「どうする家康」と「銀河鉄道の父」

 最近映画「銀河鉄道の父」を観てきました。テレビの予告コマーシャルがアピールしていたように、映画を観ている間、涙が止まりませんでした。人間誰しも避けることのできない死を、宮沢賢治さんをはじめとする宮沢家の人たちがどのように受け止めたのかが描かれており、厳粛な気持ちにもなりました。

 映画の主人公である賢治さんの父である正次郎さんが、映画の中で3人の家族員の人たちの死をみとり、あの世へと見送っています。そのうち、自分の父親である喜助さんを除いては、自分の娘と息子の死をみとり、あの世へと見送らなければならなかったのです。それは、正次郎さんにとってなんと哀しいことだったのかと、思わず感情移入することを禁じることができませんでした。

 同時に映画で描かれている正次郎さんは、社会的規範に生きたひとではなく、自分の感情に実に素直に従って生きた人だったのだなと、強く感じました。例えば、娘のとしさんが亡くなり、その埋葬のときのシーンでそのことを感じたのです。

 このシーンでは、としさんの兄である賢治さんが、生涯ただ一人の同志であったとしさんの早すぎる死を悲しみ、宮沢家が進行している宗派とは異なる日蓮宗のお題目である南無妙法蓮華経を、太鼓を打ち鳴らしながら気が狂ったように唱え、埋葬場を徘徊しているのです。

 賢治さんの父である正次郎さんはといえば、そうした行動をとった賢治さんの嘆き悲しみに深く共感し、賢治さんの行動を非難するのではなく、静かに賢治さんの気がおさまるまで見守りつづけるという姿勢を示すのでした。そこに正次郎さんの賢治さんをはじめとする子どもたちへの深い愛情を感じざるをえなかったのです。

 NHK大河ドラマである「どうする家康」でも、主人公である家康さんは、家族員や家臣の人たちにたいし、人情味あふれる人物として描かれています。しかし、家康さんの場合は、正次郎さんの場合とは違って、自分の気持ちに素直に従って生きることができないことの葛藤に苦しまなければならない存在として登場しています。

 それだけ、戦国時代の大名は、戦闘をもっぱらとする武士団の親方として、とくに家臣団から信頼されるためには、彼らから期待される親方としての社会規範から自由になることが難しかったのでしょう。大河ドラマの家康さんは、その期待に応えりっぱに生きた人物ではなく、むしろ武士団の親方としては頼りない人物として描かれているようです。

 最近見た長篠の戦前夜の場面では、信長さんの無理難題に窮したとき、娘さんに窮地を救われるというように表現されていました。このNHK大河ドラマにおける家康さんの人物像は、映画「銀河鉄道の父」における宮沢賢治さんの人物像と共通しています。映画の中で、宮沢賢治さんは、「おれはもうだめだ」「何もできない」というセリフを何度も繰り返していました。その度に、はじめは妹のとしさんが、そしてとしさん亡きあとは、父である正次郎さんが励ましつづけていくのです。

 宮沢賢治さんが詩や童話を創作しつづけた原動力は、素直に、何としても岩手の地に仏国土を建設したいという使命感なのではないかと思っていたのですが、映画を見ていて、あらためて身近な人の励ましが創作の原動力になっていたことを思い知らされました。それにしても、宮沢家の人たちの賢治さんの詩や童話の価値を信じつづけていることに驚きもしました。

 この「銀河鉄道の父」にしても、「どうする家康」にしても、宮沢賢治さんと徳川家康さんという歴史的な大人物が、一人の、しかも弱い人間として、たえず迷いや葛藤に悩み苦しみながら生きている人物として描かれています。そして、そのことに社会学的な目で見たときの英雄像としてとても魅力を感じるのです。

 個の自立にしても、歴史的な偉人像にしても、社会学的には、強い個人として、誰の力もかりず、ただ自分だけの力で、偉大な何事かを成し遂げた英雄像にはあまり魅力を感じないのです。なぜならば、一人の弱い人間であるにもかかわらず、他の人たちの献身的な支えがあったことで、何事か偉大なことを何とか成し遂げることができた場合には、主人公ではないが、支えた人たちもまた英雄として登場することを必須化するからです。より多くの人たちが英雄になれる関係性にこそ、社会学的に魅力を感じるのです。

 すくなくとも、上記の映画やドラマで描かれている賢治さんや家康さんは、賢治さんの場合は宮沢ファミリーによって支えられており、家康さんの場合は、家族や家臣団によって支えられており、社会学の目には非常に魅力ある英雄として映るのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン