シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

美しいものを求める旅路

 ここまで宮沢さんが辿った人生の歩みを考察してきたことを踏まえ、一体全体宮沢さんは自分の人生の中で何を追い求めてきたと言えるでしょうか。このブログでは、宮沢さんは自分の郷土である岩手県仏国土(極楽浄土)の世界を実現するために生きてきたという仮説に立ってきました。

 ここではその仮説を前提として、さらに、岩手県仏国土(極楽浄土)の国を実現するために、宮沢さんは何を求めつづけてきたのだろうかという問いを立ててみようと思います。それは、宮沢さんがそういうものになりたいと願った、人から「デクノボー」と呼ばれるような人物とはどのような人物で、そうした人物になることは宮沢さんにとってどのような意味をもつものだったのだろうかという問に答えることにもなるかもしれないと考えるからです。

 この問いの回答に関係すると思われる宮沢さん自身の言説が、1932年6月1日付森佐一さん宛の手紙の下書きの中にあります。この手紙の下書きは、自分が地方財閥という「社会的被告につながりにはいってゐる」ことを宮沢さんが嘆いているものとしてこれまで注目されてきました。

 その嘆きの直後、森さんに「どうかもう私の名前などは土をかけて、きれいに風を吹かせて、せいせいした場処で、お互ひ考へたり書いたりしやうではありませんか」と呼びかけます。そして、自分はどのような気持ちで詩や童話の作品を創作してきたのかについて次のように述懐するのです。

 「こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して書いてゐる次第でありません。全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず、ただ幾人かの完全な同感者から『あれはさうですね』といふやうなことを、ぽつんと云はれる位がまずのぞみといふところです」と。

 この述懐から、宮沢さんは「美しいもの」を、そして自分が美しいと感じたことに完全に同感してくれる仲間を追い求めつづけて生きてきたのだということが分かります。心友である保坂さんはその仲間候補でしたし、妹のトシさんはもし生きていれば宮沢さんの言う仲間だった人ではなかったと思います。

 しかし、残念なことに、この述懐をしている時点では、そうした仲間候補や仲間が唯の一人もいなかったようです。宮沢さんのその生涯を賭けた願いを考えると、何とさびしい人生だったのだろうかと、あらためて強く感じます。

 また宮沢さんの人生は「美しいもの」を追い求める旅路であったこともこの述懐から分かります。その旅路の中で、自分の生き方もまた「美しいもの」でありたいと願ってきたのではないでしょうか。では「美しい」生き方とはどのようなものなのでしょうか。また「美しい」生き方をしている人物とはどのような人なのでしょうか。さらに「美しい」生き方をすることの意味とは何んなのでしょうか。

 『宮沢賢治 デクノボーの叡智』の著者である今福龍太さんは、宮沢さんの作品である「虔十公園林」の主人公である虔十さんこそが宮沢さんが理想としていた人物なのではないかと論じています。

 今福さんは、虔十さんは宮沢さんの「理想自我」だったのではないかと論じています。今福さんは言います。「『虔十』は賢治童話におけるデクノボー類型としてもっとも凝縮され純化された形象だといえます。しかもそれは、もっとも賢治自身の存在に近い、ほとんど自己と連続した、あるいは自己の理念形態と連続した形象として、『そうありたい』という深い希求の念とともに語られています」と。

 さらに今福さんは、虔十さんの人物像は、そうした人物になりたいという願いを込めて宮沢さんが名付けたもので、その名称に象徴的に表現されていると言います。すなわち、宮沢さんの「分身のような存在に、賢治は『虔十』という特別の名を与えたのです。『虔』は慎み深いこと、そして『十』は仏教でいう菩薩が人びとを救うために使う智力である『十力(じゅうりき)』のことをきっと暗示しているのでしょう」と。

 そうした人物像である「デクノボー」なることのさらなる意味とは何なのでしょうか。今福さんによれば、それは、「〈デクノボー〉だけが指向することのできる、叡知の世界」に至ることができるようになるということなのです。

 さらに今福さんによれば、その叡知とは、「『人間の知恵』の外部にあって、〈デクノボー〉だけがその存在をかすかに関知できるにすぎない、理性や意識の外側に広がる無時間領域の、誰のものでもない希望」なのです。

 さらにさらに今福さんのことばで敷衍すれば、「そしてなによりもそれは、他人に希望や夢を求めたり押しつけたりしない、賢治のつつましい倫理学のありように倣ったものでありました。そもそも叡知とは、『他なるもの』を判別して意味づけ、支配する知ではなく、他なるものを受けとめ、ともに悦びともに苦しむ共感の知のことにほかならない」のです。

 今福さんの言うデクノボーだけが指向することのできる叡知とは、人間理性とは、他者の価値を認識し、その価値の観点から他者と関わることができるようになるための共感的感情力能のことであるとする感情社会学の人間理性理解と共通するものであると感じます。

 そして、感情社会学の理性論は、宗教的な視点からすると、キリスト教の愛に関する理論に関係していますが、宮沢さんはどのようにしてそうした今福さんの言うデクノボーの叡知を自分のものとしていこうとしたのでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン