シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

虔十公園林のお話

 ここで横道にそれますが、この10月20日に、岩手大学地域社会教育推進室が主催している「いわて生涯学習士育成講座」の「地元学コース」で話をする機会をいただきました。このブログで宮沢賢治さんの生き方について綴ってきたことがキッカケとなってのことかと思います。

 その話のテーマは、「宮沢賢治と地域社会 岩手県仏国土(極楽浄土)のくにづくりを夢見る」です。宮沢さんが岩手県という地域社会に出会い、そこに先人たちの志を継承し極楽浄土の世界を創り出すために生涯をかけて悪戦苦闘した物語について話をさせていただきました。

 最後に、話に耳を傾けていただいた出席者の方々に「みなさんがご存じの岩手県における宮沢賢治的風景はありますか。よければ教えていただけないでしょうか」ということをお願いしたのです。

 それは、まだ短い期間にしかすぎませんが、これまで宮沢さんに関する先行の研究を求めてくる中で、宮沢さんに関しては在野で宮沢さんの生涯や作品に関心をもたれた多くのかたがたが、実に多面的ですぐれた研究成果をあげてこられていることに気づかされたからです。とくに岩手県という地域社会で生まれ育ち生活してこられた方々は、地域の生活文化に浸って生活する中で自然に身につけられた肌感覚をとぎすますことでしか感じとることができない事実に気づくことができるのではないかということを期待したのです。

 そうした方々に出会い、その話を聞かせていただくことも、フィールドワーカーの仕事なのかと思いました。もしかりにそうした機会に出会える僥倖が実現したらこのブログでぜひ紹介していければとも願った次第です。

 そうした願いが叶って、上述の講座における話が終わったあと、お一人の出席者の方から宮沢さんの作品「虔十公園林」に関する論考をいただけたのです。その方は、三愛学舎という障がい者支援学校で理事・評議員を勤めておられる本間邦彦さんです。そして本間さんの論考は、「宮澤賢治:[虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)]の現代的課題~環境(SGDs)と福祉の精神と価値ある生き方の提案~」です。

 さすが岩手県です。それは呼びかけてすぐのことだったことから、宮沢賢治さんに関心をもち研究している人が本当に沢山いるのだということを実感した次第です。本間さんは、この論考で、「『虔十公園林』は人権の尊重・世界福祉にまでを視野」にしている珠玉の作品」であることを紹介しようとしています。

 その趣旨を冒頭に次のように叙述しています。すなわち、「国連が提唱する『持続可能な開発目標―SDGs』~『すべての人に健康と福祉を』~と同様のテーマを~賢治は『虔十公園林』で大正から昭和時代に発展した資本主義の経済的な成長ばかりを重視する社会にあって、地球規模の自然環境を大切に、又、『一人一人のさいわいの為の祈り』福祉の精神と価値ある生き方」を描き出しており、この論考でそのことを紹介しようとするものですと。

 その本間さんの論考を読ましていただいたことで、あらためて「虔十公園林」という作品をどのように読んだらよいのかを考えさせられました。現代の世界的な潮流ともなっているSDGs理念にもとづく社会づくりと宮沢さんの「虔十公園林」の作品との関係に着目した本間さんの慧眼に感謝しなければという気持ちです。

 また、この論考に触れることができたことで、宮沢さんの「虔十公園林」は、宮沢さんが「ほんとうの幸せ」や、「雨ニモマケズ」の中の「サウイフモノニワタシハナリタイ」と願った木偶の坊の人物像をどのように考えていたのだろうかを考察する上で、極めて大切な作品であることをあらためて知ることができました。

 この作品における「ほんとうの幸せ」とは、「バカバカと言われた」虔十少年が植林した700本の杉林の社会的価値と関係するものです。それは、地域に清浄な空気と子どもたちの遊び場、そして人々の憩いの場を提供するものです。

 そのことを、この作品では、本間さんの表現によれば、虔十少年が植林した杉林のある地域出身の「アメリカ帰りの若い博士が、小学校の講演の後、杉林を見て『虔十公園林』と名付け、『誰が賢くて、誰が賢くないかわかりません。』そして、『何千人の人たちにほんとうのさいわいが何だかを教えるか数え切れません』と結んでい」るのです。

 すなわち、「虔十公園林」における「ほんとうの幸せ」とは、公園林のお陰で地域の人々が自然の恵みを享受することができるようになったことだったのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン