シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

私という存在

 宮沢さんについて書かれている書物は、読んでも読んでも尽きることがないものなのでしょう。次々と新しい書物に出会うことができます。しかも、面白いことに、新しい書物に出会うたびに、また新たに宮沢さんおよび彼の作品を論じる視点が現れてくるのです。それだけ、宮沢さんという人と彼の作品は、それぞれの人にとってそれらの人たち独自の視点からの興味や関心を魅了するものなのでしょう。何とすばらしいことでしょうか。

 今度は、『新版 野の道 宮沢賢治という夢を歩く』野草社、2018年(新版第一刷)という本に出合いました。著者は、山尾三省さんという方です。

 山尾さんのこの本によって啓発されたテーマは、いかに近代的自我の世界を乗り越えたらよいのかというものです。山尾さんによれば、宮沢さんの生涯のテーマとはそのことにあったのです。山尾さんは言います、

 「賢治が一歩深く歩み入った世界は、父とか子とか私と貴方とかの個別の世界ではなくて、法華経という法(ダルマ)の世界に」いかに到達したらよいのかというものであったのですと。

 社会学の分野だけでなく、一般的に言っても現代社会における自己の確立とは近代的自我を確立することだと見られてきたのではないでしょうか。しかし、仏教の世界においては、むしろそうした近代的自我、すなわち私という個別的存在をいかに無にすることができるのかに、菩薩への道が切り開かれるか、踏み入ることができなくなってしまうかの分岐点となっているのです。

 山尾さんは言います。『春と修羅』とは、宮沢さんが近代的自我、すなわち自分の個別的存在を無にすることができず、傲慢・尊大な自分を捨てきれず大いに悩んでいたときの心象を、率直に表現しようとしたものなのですと。すなわち、『春と修羅』は、宮沢さんが私という存在を無にしていくための自己との闘いの心象記録だというのです。

 なるほど、そうした読み方をすれば、今まで理解しがたいと感じていた部分も、あっそうなのかと理解できるようになる気がします。また勉強になりました。

 山尾さんは言います。近代的自我存在とは、人と自然および人と人との関係性において、自己をそれらの分立者として立つことを意味しているのですと。そして、人は分立者になることで、真の幸福を失っていくのですと。山尾さんはそれらの一体感を有している人を「野の人」と定義します。そして、言います、

 「宮沢賢治は野の人であり、自然と溶け合って生きる野の人の幸福を、人間の究極の幸福であると直感した人であったが、その一体感をしばしば深く崩れ、深く涙を流した人でもあった」のですと。山尾さんはさらにつづけます、

 「宮沢賢治は、詩人として出発したのでこのような分立に立たされたのではない。彼はあらかじめ何処かで分立してしまっていたので、詩を選び、童話を書かなければならなくなってしまった。詩や童話、唱歌作曲や羅須地人協会その他の彼の活動の一切は、すべて究極の幸福である野や野の人々との一体感を保持しつづけるための営みであり回復である」のですと。

 同じく山尾さんによれば、宮沢さんがとくに一体感を回復したいと願っていた対象とは、百姓および父だったのではないかと言います。『春と修羅』の中にけらをまとった農夫との出会った心象をつづった作品があります。山尾さんはそれを次のように解します。

 「そこに分立者としての宮沢賢治が立った時に、けらをまとった農夫が現れて彼を見、彼は本当におれが見えるのかと叫び、分裂の裂け目にあって悲しみは青々深く、修羅の涙は土に降る」のですと。

 さらに、山尾さんは、いわゆる「雨ニモマケズ」手帳の「メモを読む時に、宮沢賢治は、その生涯の使命を終えて、友一人なく淋しく病床に敗北していたのではなくて、病床にあり死を目前にしている状況をあるがままに受け入れると同時に、更なる一歩を確実に踏み出していることを知るので」す。

 「その一歩とは、父との和解である。家との和解、宮沢一族との和解、そしてそれはとりもなおさず、抽象的なものではないあまりにも現実のこの世界との和解で」す。そして、それらの心象風景こそ、宮沢さんにとっては、自己に外在する風景と自己に内在する風景の再一体化という意味をもったことだったのです。山尾さんは言います、

 「『野の師父』において、内在する風景と外在する風景がひとつに溶け合った時、その(父と葛藤する修羅の)旅は終わった」〔( )内は引用者によるものです。〕のですと。そして、さらに続けます、

 「『世界がぜんたい幸福に……』という『世界』の中から、父や家だけを除外するべき理由は何もなかった。彼は同じ手帳の十月二四日に、

     

       ◎

   われに衆怨ことごとくなきとき

   これを怨敵悉退散といふ

       ◎

   衆怨ことごとくなし

 

と記している。熱病の中で記したその『怨』ないし『怨敵』が誰に向けられているのか推測する時、何故か私の胸には、父政次郎の姿がまず想い浮かぶ。それは父正次郎個人の人格に向けられた怨というよりは、父がたまたまそれを負う運命にあった、経済=金銭に対する怨であったはずだが、直接の対象が父に向けられていたことも事実である」のですと。

 近代的自我論という視点から宮沢さんの修羅とは何かを解き明かそうとする山尾さんの試みに大いに学ばせていただきました。感謝です。

 蛇足ですが、山尾さん自身「野の人」たろうと努力している人であることを加えさせていただきます。そして、山尾さんの「怨」は、核兵器を生み出してしまった科学に向けられていたのです。科学と宗教の関係をどのように考えるのか、またまた問題提起を受けたと感じます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン