シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

『春と修羅』を読んでみる(8)

 ところでトシさんは、宮沢さんから見て、どのようにして死での旅路に旅立とうとしていたのでしょうか。そのとき兄の宮沢さんとそれ以外の家族の人たちの気持ちをどのようにくみとっていたのでしょうか。「永訣の朝」にそれらのことが表現されています。

 その答えがトシさんの「(Ora Ora de shitori egumo)」という覚悟のことばなのではないかと思います。だれの気持ちも傷つけないという覚悟ではないでしょうか。兄の宮沢さんに対することばも口にしています。

「( うまれでくるたて

  こんどはこたにわりゃのごとばかりで

  くるしまなぁようにうまれでくる)」

 死後、そして生まれ変わってもそれまで兄と歩んできた信仰の道を歩みつづけるつもりであることを宮沢さんに伝えようとしているのではないでしょうか。

 そしてなによりも、トシさんはいままさに死のうとしているそのときに、兄宮沢さんに「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と依頼しています。そして宮沢さんはそのトシさんの依頼は、「わたくしをいっしゃうあかるくするため」のものであると受け止めています。

 ではなぜみぞれ雪を取ってくることを依頼することが宮沢さんの一生を明るくすることにつながるのでしょうか。まず儀式としての葬儀ではただ一人だけ浮いてしまうであろう兄のために死に目に関わり合う機会を提供することになっています。

 さらにそれは死後にも兄の信じている道を兄とともに歩むつもりであることを暗示しています。少なくとも宮沢さんはそう受け止めたのではないでしょうか。そのためにトシさんの末期の食事をともにしたいという気持ちをみぞれ雪をもる器ふたわんを用意することによって表明しています。

 そしてなによりも、トシさん自身は死後に極楽浄土へいくことを願うことになる「南無阿弥陀仏」のことばを口にしていません。

 そうだとすると、問題は、ではトシさんはいったいどこに往くことになるというのでしょうか。先走ることになりますが、現世にトシさんが生まれ変わり、戻ってくることのできる生活空間をつくろうとしたのが、後の宮沢さんの羅須地人協会の活動だったのではないかと推測します。

 トシさんは果たして死後どのような途を辿り、どこへ往ったのでしょうか。宮沢さんは何とかそれを知りたいと願っています。それは不可能なことであると頭では理解しているのですが、その探索をやめることができないで、苦しんでいます。その苦しみとはどのようなものなのか、これまで数えきれないくらい、さまざまに解釈され、論じられてきたのではないでしょうか。

 「とし子はみんなが死ぬとなづける

  そのやりかたを通って行き

  それからさきどこへ行ったかわからない

  それはおれたちの空間の方向ではかられない

  感ぜられない方向を感じようとするときは

  たれだってみんなぐるぐるする」(「青森挽歌」)

  いままさに死にゆこうとしているトシさんも、「《耳ごうど鳴ってさっぱり聞けなぐなったんちゃぃ》」と甘えるように言ったのです。それに対し、宮沢さんは、

 「遠いところから声をとってきて

  そらや愛やりんごや風 すべての勢力(エネルギ)のたのしい根源

  万象同帰(ばんしやうどうき)のそのいみじい生物の名を

  ちからいっぱいちからいっぱい叫んだ」のです。

 その宮沢さんの叫びに、「あいつ(トシさん)は二へんうなずくやうに息をした」[( )は引用者によるものです。]のです。最愛のトシさんと宮沢さんの本当に最後の最後の別れです。

 そして宮沢さんは、トシさんは死後も自分が信じている道を歩みつづけていると信じようとします。

 「あいつはどこへ堕(お)ちようと

  もう無上道に属してゐる

  力にみちてそこを進むものは

  どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ」

 さらに宮沢さんは最愛の妹トシさんと死別し、たったひとりになってしまいましたが、自分もまた自分の信じる道を歩んで行こうと決意するのです。そして、その決意の表明のために「青森挽歌」を次のように締めくくります。

 「                 《みんなむかしからのきゃうだいなのだから

                    けっしてひとりをいのってはいけない》

  ああ わたくしはけっしてさうしませんでした

  

  あいつがなくなってからあとのよるひる

  わたくしはただの一どたりと

  あいつだけがいいところに行けばいいと

  さういのりはしなかったとおもひます」

 それに代えて、宮沢さんは、「オホーツク挽歌」の中で「(ナモサダルマブフンダリカサスートラ)」、すなわち南無妙法蓮華経と心の中で唱えるのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン