シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんがめざしたこの世の極楽浄土像とは(2)

 宮沢さんは、浮世絵の中にこの世における極楽浄土の風景を見ようとしていたのではないでしょうか。そうした仮説の下で、宮沢さんが書いたという浮世絵の通信販売のための広告文を読んでいきたいと思います。

 その広告文のタイトルは、「なつかしい伝統日本江戸錦絵のおもかげ」です。そして書き出しは次のようになっています。「轟音と速度(スピード)の現代のなかで、日本古代の手刷木版錦絵ばかりしづかな夢ときらびやかな幻想をもたらすものが、どこに二つとありませう」とです。

 浮世絵は、自然や人々の生活風景、身の回りの植物や小動物、またさまざまな人物を題材にしています。しかもそれらは情趣ある生きた存在として、しかも色鮮やかな極彩色の世界として描かれています。それらはまるで、宮沢さんの童話世界のように感じます。

 またまた横道に逸れるのですが、最近仙台水族館を訪れる機会がありました。そこで、大水槽を舞台にしたショーを見たのです。それは、群れをなしたいわしが、音楽に合わせて、数か所から噴き出す餌をめがけて高速で移動するというショーでした。アナウンスで、そうした光景を、正確ではないかもしれませんが、命きらめく世界と紹介していたと記憶しています。

 宮沢さんが書いたという浮世絵の広告文の冒頭のところを読んだとき、頭に浮かんだのが、仙台水族館の大水槽のショーの中でアナウンスされた、「命きらめく世界」ということばでした。宮沢さんは、この世のすべての存在を命ある、きらめきかがやいている存在であるととらえていたのではないかと感じたのです。錦絵としての浮世絵は、まさしく私たちの身の回りに存在するすべてのものを、命ある世界ととらえ、その世界を芸術的に表現した作品だったのではないでしょうか。宮沢さんは浮世絵をそのように理解したのではないかと推測します。

 私たちの身の回りに存在するすべてのものに、すでに極楽浄土建設のための潜在力は存在するのです。宮沢さんにとって、問題は、それを意識的に顕在化させることができるのか、ということではなかったかと考えます。自然および生活世界の中にある(聖性にもつながる)美しさときらびやかさ、それらが、宮沢さんが考えていた極楽浄土の世界だったのではないでしょうか。

 そして、宮沢さんは、浮世絵の芸術性を次のように讃えます。浮世絵こそ「嘗て日本が生んだ、たった一つの独創美術、やがてはゴッホセザンヌ新流派さへ生みだした、世界の驚異でありました」とです。

 とくに、宮沢さんは、初代歌川広重さんを高く評価していたようなのです。中沢さんによれば、宮沢さんが綴った広告文の別紙には、浮世絵の鑑別法も記されており、代表的な浮世絵師をかかげ、その頭に、三重丸、二重丸、そして丸を付して、広告文の読み手に注意喚起していました。中沢さんは言っています、

 広告文ではなく、光原社の当主の方に宛てた別紙に「附記して賢治は、主たる浮世絵師の名前を記して其系統や位置を一目瞭然たらしめている。而して、賢治は、初代広重の頭に三重丸をつけ、初代豊国、國貞には二重丸を、二代豊国、国周、重宣、芳幾、には丸をつけて注意を促している」のですと。

 恥ずかしいことになりますが、それまで全く浮世絵に興味・関心をもったことがない身としては、それらの区別の意味がわかりません。なぜ宮沢さんは、初代広重さんに三重丸をつけたのでしょうか。広告文の中の浮世絵の紹介文は次のようになっています。それらは、浮世絵は世界的芸術であることを示唆した文につづく文章です。

 「そこには初代広重の東海道の宿(しゆく)松、白く澱んだ川霧と、黄の合羽うつ俄雨、または葛飾北斎の氷雪にそヽるまつ赤な富士や、さては歌麿英山の歌ふばかりのうなじの線やあらゆる古き情事の夢を永久(とわ)にひそめる丹唇や、もとより春信情哀の童話の国のかたらひと、端正希臘の風ある眺めや、或は藤川一派から三代豊国あたりに続々あらゆる姿態の役者絵と江戸の力士の大絵、乃至は国芳英泉の武者や国事の姿まで、まこと浮世絵版画こそさながら古き日本の絵本でこそありました」とです。

 これは全くのあてずっぽうですが、宮沢さんは、心象風景ということで、ひとつのテーマとしては、浮世絵詩的「文学」(ここではとりあえず文学としておきたいと思います。同時に、宮沢さんは、詩作品と言われている作品に宗教的な意味を込めようとしていたように感じるのです。そのことに関しては、また論じることができればと思います。)を創作しようとしていたように感じます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン