シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんがめざしたこの世の極楽浄土像とは(3)

 宮沢さんの筆による浮世絵の通信販売のための広告文で、社会学的に興味を惹かれるのは、日本の古きよき時代の風俗・風習を再興したいとの気持ちが表現されていることです。その文章は次のようなものです。少々長い引用となるのですが、宮沢さんが極楽浄土建設で何をめざしていたかを理解するために、煩を厭わずその作業を行いたいと思います。

 「古い日本の家庭では、旧三月の雛祭五月の節句、秋祭乃至は冬の夜すさびに、みなこの類(古き日本の絵本としての浮世絵)を備へてゐたのでありましたが、明治になつて西の忙しい文明が嵐のやうに日本を襲ひ、日本がこれをしばらく忘れてゐるたうちに、その大半は塵に移し、一部は海のかなたに散つて、今やほとんど内地にこれらやさしい国を国のその影だにもなくなりました。たまたま本社は東北各地で数千枚を蒐集し、その散佚を防いで置きました」〔( )内は引用者によるものです。〕というのがその文章です。

 この文章に触れて、真っ先に感じたのは、宮沢さんは、日本が「やさしい国」になることを、きっと潜在的な形なのだと思いますが、望んでいたのではないかという思いでした。そして、その基礎となるのが、日本の古きよき時代の生活習慣・風俗・文化だと、宮沢さんは捉えていたのでしょう。それは、日常の労働や生活が、宗教・芸術と一体となって営まれていた生活の形にあると、宮沢さんは考えていたように思えます。それらの生活習慣や風俗には、四季折々の、そのときそのときに、お祭りや各種の年中行事として、平穏に生きていることに感謝し、喜び、楽しむ感情があふれているものと、宮沢さんは感じていたのでしょう。

 それが、明治以降の「西の忙しい文明」が怒涛のごとく日本を襲うようになると、それらの生活習慣や風俗が急速に失われていくようになったと、宮沢さんは捉えていたのでしょう。そう言えば、宮沢さんは、自分の欲望を実現するために、他者を蹴落とし、他者の足をひっぱる風潮の中で、無数の青白い顔をした死体が流されてゆくという悪夢を見ていたということを思いだしました。それは、まさしく、「やさしい国の国の影だにもなく」なってしまった日本社会の姿だと、宮沢さんは感じていたことを示しているのかもしれません。

 また、「西の忙しい文明」は、小は日常生活における日々の競争から、そして大は国と国との戦争という姿で、争いごとが絶えない世界を生みだしているとも、宮沢さんは捉えていたのではないかと推測します。なによりも、日本の優しい国の姿を表現している浮世絵は、戦国の世から争いごとがなくなった平和な世の中で生まれていった芸術だったのですから。

 そうしたもろもろの思いが結晶化したものが、宮沢さんの農民芸術論だったのではないでしょうか。そしてそれは、また、宮沢さんが期していた極楽浄土(仏国土)建設のための指針でもあったのではないでしょうか。そうした思いを土台として、宮沢さんの有名な農民芸術論は生まれたのではないかと推測します。「農民芸術概論要綱」の冒頭で宮沢さんは次のように宣言していました。

 「われわれはみな農民である ずいぶん忙がしく仕事もつらい/もっと明るく生き生きと生活する道を見付けたい/われわれの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった」とです。

 はじめてこの文章を読んだとき、「古い師父たち」の「古い」とは、宇宙時間的時間観念のもちぬしである宮沢さんのことなので、相当「古い」時代の人々の生活のことではないかと感じたのです。しかし、浮世絵の通信販売の広告文の示唆するところによれば、それは近世時代という、比較的新しい時代に属する生活風景のことではなかったかと、いま考え直しています。

 しかも、この「農民芸術概論要綱」には、農民芸術の創造=極楽浄土創造であることを示唆する文章もあります。それは、「農民芸術の製作……いかに着手しいかに進んで行ったらいいか……」についての文章です。宮沢さんは、宣言します、

 「世界に対する大なる希望をまづ起せ/強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ/感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と/諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力は〔加〕はる/機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり/練意了って表現し 定案成れば完成せらる/無意識〔部〕から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である/髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ/なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ/風とゆききし 雪からエネルギーをとれ」とです。

 宮沢さんにとって、極楽浄土とは、何か別世界または異界として存在しているものではなく、「憂き世」であるこの世において希望をもち、それを実現するために「強く正しく生活」することで、生活の中にある美を探求し、それを芸術として昇華することで一人ひとりの人が自分の努力によって自分の心の中に創造していく世界のことだったののだと感じます。それは、長い髪をし、コーヒーを呑みながらただひたすら幸福が来ることを待つことによっては得ることのできない世界なのです。しかも、その極楽浄土建設の原動力は、この世に存在している悩みや苦しみなのです。それらを薪とし、燃料とすることによって極楽浄土建設を進められるのです。さらに言えば、苦しみ悩むことこそ、極楽浄土への道なのです。宮沢さんは『春と修羅』の中で、「おれはひとりの修羅なのだ」。だからこそ、自分も極楽浄土建設をする存在となりうる者なのだと宣言していたのです。

 そのようにこの世のすべてが極楽浄土なのではありません。そうした生き方をすることができないでいる多くの人にとって、この世は苦しみにまみれなければならない地獄、または「憂き世」なのです。宮沢さんは宣言します。そのよう中で苦しみながらも極楽浄土を創造しようと努力している人こそが、「芸術家」なのですと。そして、この宮沢さんの主張は、どうしたらこの世の苦しみから逃れ、自由となったらよいかを説く、またはそれを実現してくれる絶対的な力をもった他者の現れることに希望をもつことを説く主張とは、それらいずれの教えとも一線を画する主張だと言えるように思います。宮沢さんの教えは、自分の人生の芸術家になるにはどうすればよいかというものではなかったかと思います。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン