シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

良寛さんと宮沢賢治さん(4)

 良寛さんは、ここまで見てきたように、円通寺での修行時代、「同僚の弟子の中で道心堅固で修行する者を一人も見出せず、自分こそは悟りに向かって精進」しなければならないという思いに強く縛られていたのです。それは、強い孤独感をともなうものでした。さらに、「『自分こそは』という生真面目さが、仏教の悟りの『無我』に向かうためには返って徒(あだ)になって」しまうのです。

 良寛さんの「評伝」を読んでいて、この良寛さんの修行僧時代のエピソードを知ったとき、あの良寛さんにそうしたジレンマに陥っていたときがあったのだという驚きを感じました。同時に、そのジレンマは、その対象となる人と形は違っていますが、宮沢さんが、自分が救済しようとする農民たちとの間に抱えていたジレンマと同じ性格のものではないかという思いも湧いてきたのです。宮沢さんも、真剣に、苦悩している農民たちを救おうとすればするほど、彼ら、彼女らの生活のあり方に批判的になり、怒りさえ感じるようになっていたのではないかと思います。

 宮沢さんは、その人生が短かったこともあって、ついにそのジレンマを、懸命に乗り越えようとする努力を積み重ねていたものの、現実に乗り越えることができなかったように思います。良寛さんは、直面した自己ジレンマをどのように乗り越えていったのでしょうか。そして、それはどのようにして乞食僧としての生き方につながっていったのでしょうか。

 良寛さんの場合、上述のジレンマ克服のきっかけとなったのが、阿部さんによれば、道元さんの著作である『正法眼蔵』の中のある教えに出会ったことであったといいます。その教えとは、『正法眼蔵』の「現成公案」巻の「悟り」に関する教えではないかと阿部さんは見ています。そして、その教えとは、次のようなものだったそうです。すなわち、その教えとは、

 「自己をはこ(運)びて万法を修証するを迷(まよい)とす、万法すす(進)みて自己を終証するはさとりなり、(中略)仏道をなら(習)ふといふは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわする(忘)るなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」というものです。

 ただ残念なことに、仏教に疎い私にはその道元さんの教えがどのようなものかよく理解できません。そこで、その教えに関する阿部さんの解説を参照しようと思います。阿部さんによれば、それまでの良寛さんの「悟り」に関する理解とは、一般的な理解の仕方と同じで、「修行者が一人で奥深い山林や静な禅堂で座禅を続けると、つまりその修行者個人の内面に変化が起こりこと」というものだったのです。しかし、道元さんはそうした「悟り」へのアプローチこそ「迷い」そのものであると否定しているというのです。

 道元さんと言えば、「只管打坐」の標榜者であり、もしそれが「悟り」の道であると理解しているならそれは「迷い」であると道元さんが言っていたという阿部さんの解説に驚きました。阿部さんによれば、良寛さんも、また、「只管打坐」こそが「悟り」の道であると考えていたと言います。だから、「道元の悟りとは何かの説明は、当時の良寛にとって冷水を浴びせられるほど衝撃的だったはず」だったと考えられるのです。

 では、道元さんは真の「悟り」の道をどのように示していたのでしょうか。それは、他者はどうであれ自分だけが万法をものにすればすむというのではなく、他者、すなわち「他己」もまた同じように万法をものにすることなしに真の「悟り」はえられないというものだったというのです。

 道元さんは、その「悟り」の境地を、群れを成して行動している鳥や魚の動きに例えて示していたのです。すなわち、例えば、魚の動きに関して見ると、「魚は単に水中を自由に泳ぐのではなく、他の魚と群れを成しつつ、集団でその自在を現成しつつ、迷うことなく大河を遡行したり、大海を回遊したりできる」のです。「要するに道元によれば、悟りとは自分一人で達成されうるものではない。自分と万物との関係性が変化して、無我となって解放された自己と世界の本来的な一体感が、鳥が空について、魚が水について感じるように、実体験されること」なのです。

 良寛さんは、それまで、「禅院の参禅や参学、作務に至るまで、絶対に他の修行者には遅れをとらないという意気込みで努めてきた」が、それは「悟り」への道ではなく、「迷い」であったとは、良寛さんは新たな苦悩と試練に直面したのです。なぜならば、「悟り」とは何かについて道元さんの教えを知ったのですが、「ただそれをどうやって道元が説く『自己を忘るる』実践に、『万法すす(進)みて自己を修証する』実践に、変えてゆけるのか」、簡単に答えのでない難問が良寛さんを襲ったからです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン