ここでは三澤さんの風土思想とはいかなるものかについて確認しておきたいと思います。依拠するテキストは、『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 第3巻 風土産業』農山漁村文化協会、2008年です。 この著作は、1936年中に、「地域の現場で産業おこし・地域振興…
宮沢さんと宮沢さんが救おうとした貧しい農民の人たちとの関係性を考えながら、宮沢さんは当時の農民の人たちの窮状と惨状にどのように向き合えばよかったのだろうかという問いが浮かんできます。少なくとも、そうした志をもった宮沢さんが農民の人たちから…
この作品は、農民の人たちの心の壁にぶち当たった宮沢さんの敗北宣言なのでしょうか。その文章すべてを確認しておくことにします。 「そのまっくらな巨(おほ)きなものを/おれはどうにも動かせない/結局おれではだめなのかなあ/みんなはもう飯もすんだのか/…
「火祭」という作品は、今回参照している『詩集』の編者である山本太郎さんの解説によれば、宮沢さんが心血を注いだ羅須地人協会の活動が空転しはじめた時期の作品だそうです。宮沢さんはその活動を通して、(貧しい)農民の人たちのために、その人たちと協…
岩手という地に仏国土建設を夢見る宮沢さんの心を暗く、屈折したものにしてしまうものとは何か、次に、「(もう二三べん)」という作品を見てみることにしたいと思います。 「もう二三べん/おれは甲助(かふすけ)をにらみつけなければならん/山の雪から風の…
宮沢さんが生きていた時代には、同じ地域内の有力者層の人たちと一般農民、とくに小作として経済的にも貧しい生活を強いられていた農民の人たちとの間の関係性は大きく変わってしまっていました。その変化は、社会科学的用語で表現すれば、近代化・資本主義…
権力者の政治に頼ることなく自分たちの力と才覚によって自律的に度々襲ってくる自然災害に地域全体で一致協力して立ち向かっていた南部三閉伊通の人々、とくに一揆を主導した俊作さんたちは、どのようなことを契機として自分たちの権力者と対峙し、闘いを挑…
俊作さんをはじめとする南部三閉伊一揆の主導者の人たちは、南部藩の政治にはどのように向き合っていたのでしょうか。この点に関して、茶谷さんは、「安家村とはさほど遠くない軽米(かるまい)の豪農淵沢円右衛門」さんが遺言として残した『軽邑耕作鈔』の…
ここまで1847年と1853年の二度にわたる南部三閉伊一揆について、その一揆を主導した一人である俊作さんとの関係に焦点を当てて見てきました。では、それは、宮沢さんを理解するということとどのような関係があるのでしょうか。結論から言えば、地域社会にお…
1837年1月、再度、盛岡南方一揆が起こるのです。しかし、この一揆が前年のときは異なり、仙台領伊達藩に対して訴えを行ったのです。すなわち、「南部・伊達藩の境にある鬼柳番所が、多数の百姓たちによってうちやぶられた。番所をやぶり藩境を越えて仙台領に…
南部三閉伊一揆は、南部藩支配下の三閉通り地域(「野田・宮古・大槌の三通りをふくむ三陸沿岸全域」)の百数十カ村」の「一万六千名」、当時のこの地域全人口6万人の約25%以上に相当する人々が参加した、壮大なものでした。そして、その壮大な一揆を主導し…
今回、岡本公樹さんの著した『東北不屈の歴史をひもとく』を読んだことで、関心をもった岩手県の農民の方々の歴史、とくに大飢饉や領主の苛斂誅求的政治にどのように向かい合ってきたのかについてもう少し詳しく知りたいと思うようになりました。そのために…
最近映画「銀河鉄道の父」を観てきました。テレビの予告コマーシャルがアピールしていたように、映画を観ている間、涙が止まりませんでした。人間誰しも避けることのできない死を、宮沢賢治さんをはじめとする宮沢家の人たちがどのように受け止めたのかが描…
前回内ケ崎さんの自由主義の立場について参照しました。今回は、その自由主義の立場からの教育・人づくり論について参照したいと思います。それは、個人的になりますが、非常に興味を促される議論がおこなわれているからです。 内ケ崎さんの教育・人づくり論…
ここでは内ケ崎さんご自身が自称している自由主義の立場について参照しておくことにしたいと思います。それは、内ケ崎さんの自由主義的立場は実は宮沢さんの立場でもあったのではないかと感じるからです。その立場を、内ケ崎さんは自分の信仰との関係で次の…
前回は、内ケ崎さんの「真の宗教」論について参照しました。今回は、そのことを受けて、内ケ崎さんはその宗教と科学との関係をどのように論じていたかについて見ていきたいと思います。 まずそのための前提として、内ケ崎さんは「真の宗教」的態度と科学的態…
宮沢さんは、私たちが生き、生活しているこの宇宙世界を律しているものこそ仏法であると信じていました。内ヶ崎さんも、またこの宇宙世界を律している法とは「実在」であると論じていました。ではそうした究極の法というものを仮定した場合、宗教や科学、そ…
内ヶ崎さんの『人生学』はどのようなものなのでしょうか。また、内ヶ崎さんの『人生学』は宮沢さんの思想を理解するためのよい参考書となるとはどのようなことなのでしょうか。さらに、内ヶ崎さんの『人生学』は現在の地域づくりのための思想としても意義あ…
内ヶ崎さんの『人生学』は、宮沢さんの地域づくりの思想とはどのようなものであったかを理解するための助けとなる方ではないかと考えます。さらに言えば彼が著した『人生学』は、宮沢さんの思想を理解するための参考書としても重要な著作ではないかと思いま…
これも私事になりますが、自分が学生時代であったときには、社会づくりの思想と言えば、体制選択的、政治的なものであったと思います。それは、資本主義か社会主義か、保守か革新かという選択をめぐる思想ではなかったかと思います。当時は、いわゆる世界的…
平泉を訪れ、藤原一族の人たちが、それほどまでにこの世に極楽浄土世界を築こうとしたのかについて考えをめぐらすなかで思い至ったのが、藤原一族の人たちにとって現実世界があまりにも地獄であったからではないかということでした。このことは、後の時代の…
宮沢さんに関心をもつようになって、極楽浄土の存在とはなにかということも考えるようになってきました。現在のところ、仮説にすぎませんが、極楽浄土とは、宮沢さんが感じていたように死後の世界にあるのではなく、祈りと自然の美しさの中に霊意や神意を感…
岡本さんは、東北人の不屈の精神を育んできたもののひとつが、「東北の自然の美しさ」であると指摘しました。そして、次のような文章をつづけます。 東北の自然の美しさに「魅了されたのは東北人だけでない。辺境でありながら、都人は東北の地にあこがれを抱…
宮沢賢治さんに関心をもつようになったことで、これまでであれば出会うことがなかったかもしれない本との出会いが増えてきました。その一つが、ここで紹介する読売新聞記者の岡本公樹さんの著した『東北不屈の歴史をひもとく』です。 この本は、2011年3月11…
宮沢さんを修羅としての存在から不軽菩薩のような存在になることを願うような自己へとの自己形成の歩みを導いていった宮沢さんに内在していた力とはどのようなものだったのでしょうか。宮沢さんという人を知るために欠かせない問いです。 一つの仮説ですが、…
宮沢さんは、新文明建設者としてふさわしい自分になるための自己研鑽に励むとともに、実際にこの娑婆世界に極楽浄土の仏国土を建設するための活動にも踏み出します。その第一歩が、国柱会へ入会し、その一員として仏国土建設に邁進することでした。しかし、…
宮沢さんの人生は、阿弥陀仏さんにも匹敵するような偉大な人物にたるために、それからはほど遠い存在でしかない現実の自分自身と闘いつづけなければならなかった人生だったように思えます。それは、「無主義な無秩序な世界」に替えて「新文明を建設」するた…
宮沢さんの人生の軌跡をたどり、その中で宮沢さんの人間性のすばらしさを知れば知るほど、なぜ宮沢さんが自分を「修羅」との自己認識をしなければならなかったのかという疑問があらためて募ってくるのでした。そこで、ここでは、これまでの考察を踏まえて、…
これまでずっと、宮沢さんの詩の作品であると言われてきた「産業組合青年会」という作品をどう理解したらよいのか疑問に思ってきました。それは、この作品には、私自身にとっては全く無関係に思えた二つの内容が存在しているからです。その二つの内容とは、…
多くの人に慕われ愛されていると言っても、空海(弘法大師)さんと宮沢さんには大きな違いが存在しています。空海(弘法大師)さんの場合、生前からときの権力者の人たちにも慕われ、何かと頼りにされていたようです。それに対して、宮沢さんの場合は、生き…