シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(1)

 内ヶ崎さんの『人生学』は、宮沢さんの地域づくりの思想とはどのようなものであったかを理解するための助けとなる方ではないかと考えます。さらに言えば彼が著した『人生学』は、宮沢さんの思想を理解するための参考書としても重要な著作ではないかと思います。

 内ヶ崎さんは、西南戦争が始まった年の1877年に、宮城県黒川郡富谷村に生をうけています。宮沢さん誕生に約20年先立つ年です。内ヶ崎さんの人生は宮沢さんのそれとは少し違ったところがあります。それは、内ヶ崎さんの場合は、着実に地方名士の道を歩みつづけていくのです。その歩みを、内ケ崎作三郎さんの『人生学(復刻版)』(富谷市発行、2021)にある略年表を参照して簡単に追っておきたいと思います。

 内ヶ崎さんは、1895年18歳のときに、第二高等学校予科1年に入学します。同時に、このとき、「栗原基の勧めでブゼル先生の聖書スクールを聞」きます。ちなみに宮沢さんはその一年後に誕生しています。1898年の第二高等学校卒業直前に、「島地雷夢、吉野作造と共に洗礼を受け、キリスト教に入信」します。さらに、同じ年、東京帝国大学英文科に入学します。

 1901年東京帝国大学卒業し、1902年「東京専門学校(後の早稲田大学)の英語講師に委嘱され」ます。1911年に早稲田大学教授になるとともに、東京のユニテリアン教会の牧師となっています。そして、1915年には、東京の女子音楽学校で「自由基督教会」を設立します。さらに、1924年、47歳のとき、「第十五回帝国議会衆議院議員選挙」に宮城県から立候補し、当選します。そうして政治家に転身し、1927年には、立憲民政党の結党に参加し、「政務調査会副会長」に就任します。

 ここまで簡単なものではありますが、内ヶ崎さんの人生の歩みをたどってきました。そこで、宮沢さんの地域づくりの思想の理解を深めるという視点で見たときの内ヶ崎さんの人生経歴で注目しておかなければことは、キリスト教信仰、とくに「自由基督教」信仰にもとづく社会づくり活動に携わっていたということではないかと思います。

 宮沢さんの場合、地域づくりの思想を手紙、詩や童話を材料として探究しようとするとき、そのあまりにも文学的な表現によって、しかしそのことが宮沢さんの大きな魅力でもあるのですが、他方でなかなか論理的な理解が難しいという難点がありました。その点で、内ヶ崎さんの『人生学』はその難点を乗り越えるためのかずかずのヒントを与えてくれる議論が学問的に展開されているのです。

 そうした関心で、内ヶ崎さんの『人生学』の目次のテーマを拾い上げて見てみましょう。まず「生命の神秘と物質の驚異」が論じられています。また「人類の発達」では、「物質的資源」、「気候と人生」、「人生と風」、そして「風と精力」について論じられているのです。人類の発達論に「風」およびその「精力」が論じられているのは非常にユニークではないかと感じます。

 さらに、「人生に於ける遊戯娯楽の意義」について論じられています。宮沢さんの幸福な生活論との関係でも興味ある議論が展開されているのではないかとの期待がふくらみます。また「宗教と科学との関係」および「人生終局の目的と霊魂不滅」に関する項目も、宮沢さんの思想理解のために内ヶ崎さんがどのような議論をしているのか、興味が尽きることがありません。

 「性の問題」の中では男女の恋愛や結婚制度、さらには性の教育の問題まで、宮沢さんがあまり語らなかった問題に関しても扱われており、関心が湧きます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン