シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんの詩の作品(1)―「地主」

 宮沢さんが生きていた時代には、同じ地域内の有力者層の人たちと一般農民、とくに小作として経済的にも貧しい生活を強いられていた農民の人たちとの間の関係性は大きく変わってしまっていました。その変化は、社会科学的用語で表現すれば、近代化・資本主義化による地域内の階級・階層分化による変化です。すなわち、宮沢さんが生きていた時代には、同じ地域内の有力者層の人たちと一般農民の人たち、とくに貧しい農民の人たちの間に、搾取・被搾取およびそのことを基盤とする政治的支配・被支配の関係性が露になっていたのです。

 私事になりますが、学生・院生時代に近世末期の南部三閉伊一揆のリーダーの一人であった俊作さんが住んでいた安家村に隣接する岩泉町のフィールドワークを仲間たちと共に行ったことがありました。それは、岩泉町の漁村地域に属する小本地区の青年団活動に関するフィールドワークでした。そのとき、地域の方から戦前の地主・商業資本の人がいかに強欲な存在であったかという話を聞いたことがあります。

 そのときの話によれば、地域の貧しい農民の人たちに酒を売る商売をしていたある商人の人は、自分の家の前を酔って通っている農民を見かけると決まって言うことがあったというのです。それは、自分の家の前を酔って通っている農民を指さして、「あいつがここで酒を買ったことにしてその代金をつけておけ」というものだったそうなのです。そしてその借金をかたにして農民の人が所有している耕地をとりあげ集積していったというのです。そうした話を聞きながら、フィールドワークのときは、戦前の地主・商業資本の人たちがいかに強欲で、ひどい社会的性格をもっている人たちだったのだと思ってしまったのです。

 その話が事実であったのかどうかその時はあまり関心をもちませんでした。しかし、今から考えれば、そうした話が地域の中に残っていること自身が、近代化・資本主義化によって地域内の有力者層の人たちと一般農民の人たちとの関係性が、いかに敵対的になってしまっていたか、そしてそのことを地域の人たちが強く意識していただけでなく、後々にまで語り継がれていっていたかを示しているのではないでしょうか。宮沢さんはそうした地域における感情的環境の中で、とくに貧しく、窮乏している人たちに心をいため、なんとか自分の力で救済しようとしていたのです。そして、それらの人たちは、宮沢さんのそうした行為を白眼視していたのです。それは、なんと不幸な関係性だったのでしょうか。

 宮沢さんの詩を読みながらいつも感じることは、宮沢さんの地域の人を見る目がとても屈折していることです。宮沢さんの詩は、自分が感じたまま記録に残す、心象スケッチによって創作されたものです。そうした宮沢さん自身の屈折した心情に触れるとき、宮沢さんは本当に自分が感じたままのことを自分の詩の作品に表現していたのだな、と感嘆するのです。「地主」という作品もその一つです。

 宮沢さんの気持ちを暗く、屈折したものとしたのとは何だったのでしょうか。「地主」という作品を取り上げて確認してみたいと思います。作品全部ではなく、関係すると思われる部分を抜き書きしてみたいと思います。使用するテキストは、山本太郎編『宮沢賢治詩集』旺文社文庫、1970年(重版)です。

 

 「この山ぎはの狭い部落で/三町歩の田をもってゐるばかりに/殿さまのやうにみんなにおもはれ/じぶんでも首まで借金につかりながら/やっぱりりんとした地主気取り」

 「一ぺん入った小作米は/もう全くたべるものがないからと/かはるがはるみんなに泣きつかれ/秋までにはみんな借りられてしまふので/そんならおれは男らしく/自分の腕で食ってみせると/古いスナイドルをかつぎだして/首尾よく熊をとってくれば/山の神を殺したから/ことしはお蔭(かげ)で作も悪いと云はれる」

 「つかれた腕をふりあげて/三本鍬(ぐわ)をぴかぴかさせ/乾田を起してゐるときに/もう熊をうてばいいか/何をうてばいいかわからず/うるんで赤いまなこして/怨霊(をんりやう)のやうにあるきまわる」

 

 この詩の中で、どこまでの人の好い小地主と編者の山本さんによればどこまでもエゴイストの小作との関係が描かれています。それはまるで、貧しい農民の人の窮状を救い、力を合わせて仏国土建設に邁進したいと考えていた宮沢さんとそれを白眼視している貧しい農民の人との関係のようです。

 宮沢さんの夢は、白昼夢すぎないものだったのでしょうか。「地主」の中で描かれている小地主の「怨霊のやうにあるきまわる」姿は、『春と修羅』で表現されている「おれはひとりの修羅なのだ」と草原を歩き回っている宮沢さんの姿そのもののように感じます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン