シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんの詩の作品(4)―「(そのまっくらな巨きなものを)」

 この作品は、農民の人たちの心の壁にぶち当たった宮沢さんの敗北宣言なのでしょうか。その文章すべてを確認しておくことにします。

 「そのまっくらな巨(おほ)きなものを/おれはどうにも動かせない/結局おれではだめなのかなあ/みんなはもう飯もすんだのか/改めてまたどらをうったり手を叩(たた)いたり/林いっぱい大へんにぎやかになった/向ふはさっき/みんなといっしょに入った鳥居/しだれのやなぎや桜や水/鳥居は明るいま夏の野原にひらいてゐる/ああ松を出て社殿をのぼり/絵馬(えま)や格子(かうし)に囲まれた/うすくらがりの坂の上に/からだを投げておれは泣きたい/けれどもおれはそれをしてはならない/無畏(むゐ) 無畏/断じて進め」

 ここで再びこの作品に関する山本さんの解説を参照したいと思います。山本さんは解説します、

 この作品に描かれていること、それは、「保守的な農民の白眼視や、農学校同僚の、無理解などが彼(宮沢さん)の周辺をつめたく囲繞するばかりなのだ。そして彼自身はといえば、労働に疲れ、ついに病に倒れてしまう。/『結局おれでは……』の嘆息から僕(山本さん)は、心より身体の衰弱を聽く」〔( )内は引用者によります。〕という宮沢さんの何とも言えない落胆の心情なのではないでしょうか。

 しかし、同時に、この作品は宮沢さんの敗北宣言ではないように感じます。なぜならば、最後に、「無畏(むゐ) 無畏/断じて進め」と自らを鼓舞する文章で締めくくっているからです。なお、仏に誓った自分の使命を全うしようとしているのです。何とすごいことなのでしょう。しかし、そのことが宮沢さんのその後の自分の命を削る活動に駆り立てていくことになったのではないかと推測されるのです。

 だとすると、この作品を文学的ではなく、社会学的に見たときには、宮沢さんが貧しい農民の人たちと協力し合い、支え合って極楽浄土づくりとしての地域社会づくりがなぜできなかったのかという問いが浮かんでくるのです。

 確かにその問いは、ないものねだりの問いかもしれません。社会科学的には、宮沢さんと貧しい農民の人たちとの関係は、敵対的な階級的関係なのかもしれません。しかし、同じ地域に住む者同士として、自分たちが住んでいる地域の状況や地域の人たちの状況を改善するということに関しては、国家という社会制度内における関係性と比べた場合、より協力し合える可能性があるのではないかとも考えるのです。

 とくに、地域の主導層の人たちが自分たち地域の運命や地域の人たちの運命に自分ごととして関心をもち、何とかよいものにしたいとの強い思いがある場合には、なおさらその関係性が開けてくるのではないかと思うのです。しかし、非常に残念なことなのですが、宮沢さんは、宮沢さんがやろうとしていたこと自体、より多くの農民の人たちから理解してもらうことができませんでした。

 それは、宮沢さんが、あまりにも性急に自分が追い求める理想を実現しようとしたからではないかと考えます。また宮沢さんという人は、自分の目の前に存在している悲劇的状況を放ってはおけない人だったのでしょう。そのことを示唆しているのが、「グスコーブドリの伝記」という作品ではないかと考えます。周知のようにこの作品は、この物語の主人公であるブドリさんの自分の命をかけた英雄的行動によって、イーハトーヴの人たちを冷害から守り、例年と変わらぬ穏やかな生活を実現したというものです。その作品の最後の文章を参照してみましょう。

 「火山局(きょく)の船が、カルボナード島へ急いでもきました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。/すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんはひとり島に残りました。/そしてその次の日、イーハト―ヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁(にご)り、日や月が銅(あかがね)いろになったのを見ました。けれどもそれから三、四日たちますと、気候(きこう)はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通(ふつう)の作柄(さくがら)になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょにその冬を、暖かいたべものと、明るいたきぎで楽しく暮らすことができたのでした。」〔宮沢賢治風の又三郎よだかの星明治図書、1990(12刷)〕

 確かに、ブドリの自らの命を犠牲にした英雄的行動によって、人々のかけがいのない一家団欒の生活を実現しました。ただそれは、「その秋」だけのことなのです。もしかしたら、次の年も冷害に襲われるかも知れません。そのときは、またブドリの活躍が必要だとなるのでしょうか。そうした英雄的犠牲者を次々にださなくても、またブドリのような英雄がいなくても、かけがいのない一家団欒の生活を実現していく道はないものでしょうか。少なくても、社会づくりとは、後者の道を探究する活動ではないかと考えるのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン