シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

「〔もうはたらくな〕」(1)

 この「〔もうはたらくな〕という作品は、『【新】校本宮澤賢治全集』の中の作品番号1088番の作品です。ここではこの作品の主題をどのようにとらえたらよいかについて考えていこうと思います。この点に関して、これまでも参照してきました旺文社文庫の『宮沢賢治詩集』を編んだ山本太郎さんは、この作品の解説で次のような指摘をしていました。すなわちこの作品には、宮沢さんの「自嘲とともに農民への怒りが生々しく表現され」ていますと。

 山本さんが指摘する「自嘲」はこの作品の前半部分の文章に表現されているものです。すなわち、

 「もうはたらくな/レーキを投げろ/この半月の曇天と/今朝のはげしい雷雨のために/おれが肥料を設計し/責任のあるみんなの稲が/次から次に倒れたのだ/稲が次々と倒れたのだ/働くことの卑怯なときが/工場ばかりにあるのではない/ことにむちゃくちゃはたらいて/不安をまぎらかさうとする/卑しいことだ」と表現されています。

 そしてこの部分の表現を山本さんは次のように解説します。「『作品第一〇八七番』は『何といふ臆病者だ』という一行ではじまる。つまり稲が次々と風雨に倒されてゆく不安を、ま」はぎらそうとするかのように、めちゃくちゃに働く自分をののしっているのだ。『一〇八八番』ではその自嘲がさらに激しくなる。『もうはたらくな/レーキを投げろ』と」です。

 さらに解説は次のようにつづきます。「これほどナマの感情が、むきだしにされたことは、賢治の場合珍しいのだ。それはあたかも、彼の理想への努力が挫折のときをむかえたことを暗示しているかのよう」ですと。

 では、山本さんは「農民への怒り」という宮沢さんの感情についてどのように解説しているのでしょうか。まずその部分の作品の文章を確認しておきましょう。それは、

 「さあ一ぺん帰って/測候所へ電話をかけ/すっかりぬれる支度をし/頭を堅く縄(〔しば〕)って出て/青ざめてこはばったたくさんの顔に/一人づつぶつかって/火のついたやうにはげまして行け/どんな手段を用ひても/弁償すると答へてあるけ」というものです。

 山本さんはこの部分の表現に関して言います、

 「『青ざめてこはばったたくさんの顔』とは賢治を非難する農民の顔だ。その顔にむかい、『火のついたやうにはげまし』『どんな手段を用ひても/弁償する』と言うその声の悲痛さ。/賢治の善意、農民への無償の奉仕はいまや、彼らの浅はかな責任転嫁で、ふみにじられようとしているのだ」と。

 なるほど、宮沢さんと地域の農民の人たちとのそれまでの関係性から見れば、この作品の後半部分の文章は、山本さんの指摘するように「農民への怒り」を吐露する宮沢さんの心象を表現していると解釈すべきなのでしょう。しかし、ここで、もうひとつの解釈の可能性についても考えてみたいのです。それは、この作品の後半部分の文章は、宮沢さんの自分自身に対する怒りという心象をも著しているのではないかという解釈の可能性です。

 宮沢さんには、農法に関してほんのちょっと学問的に近代的農法を修めたというだけで、自分には地域の農業経営を確立し、豊かにできる「偉大な」力があるとの過信と驕り・昂ぶりがあったのではないかと推測できるのです。その過信と驕り・昂ぶりが、いとも簡単に、しかも無残に打ち砕かれようとしていたのです。宮沢さんはといえば、そうした事態に対してなすすべをもっていませんでした。

 この「もうはたらくな」という作品につづく、同じ日付の作品群を見ていくと、宮沢さんは、自分がとくに、天候の急変を予測できなかったこと、急変が起こったときそれにどのように対処したらよいのかについて何らの策を有していなかったこと、そして稲作が駄目になった場合どのようにして農家経済を確保したらよいかについての方向性を示すことができないことに大きなショックを感じていたのではないかと感じるのです。宮沢さんがしたことといえば、ただ祈るだけだったのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン