シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

「和風は河谷いっぱいに吹く」

 この「和風は河谷いっぱいに吹く」という作品も、宮沢さんが、自分が信じている宇宙世界を律している「透明な意志」の偉大な力に頼って、直面している困難な事態が一瞬で解決するような奇蹟が起こることを祈っている(願う)作品です。

 奇蹟よ起これ、そしてそこに、「たうたう稲は起きた/まったくのいきもの/まったくの精巧な器械/稲がそろって起きてゐる/雨のあひだまってゐた穎は/いま小さな白い花をひらめかし/しづかな鈴いろの日だまりの上を/赤いとぼもすうすう飛ぶ/あヽ/南からまた西南から/和風は河谷いっぱいに吹くいて/汗にまみれたシャツも乾けば/熱した額やまぶたも冷える」風景よ、現れよと祈る(願う)のです。

 そしてその風景は、宮沢さんにとって、宮沢さんが肥料設計し、実施した成果がつくりだすはずのものでもあったのです。

 「あヽ自然はあんまり意外で/そしてあんまり正直だ/百に一つなからうと思った/あんな恐ろしい開花期の雨は/もうまっかうからやって来て/力を入れたほどのものを/みんなばたばた倒してしまった」。そこで、宮沢さんは祈ります。

 「その代わりには/十に一つも起きれまいと思ってゐたものが/わづかの苗のつくり方のちがひや/燐酸のやり方のために/今日はそろってみな起きてゐる/森で埋めた地平線から/青くかヾやく死火山列から/風はいちめん稲田をわたり/また葉の葉をかヾやかし/いまさわやかな蒸散と/透明な汁液(サップ)の移転」よ起これと。

 もしこの願いが叶うならば、それは自分ひとりだけの喜びではなく、村中の喜びとなるはずのものなのです。

 「あヽわれわれは曠野のなかに/葦とも見えるまで逞しくさやぐ稲田のなかに/素朴なむかしの神々のやうに/べんぶしてもべんぶしても足りない」のです。

 しかし、現実は、無情にもそうした宮沢さんの切なる願いが「透明な意志」にとどくというようなことは起こらなかったのです。肥料設計の活動は、文字通り宮沢さんが心血を注いできていたもので、天候にも恵まれようやくその真価が誰の目から見ても露になるはずのものだったのです。だからこそ、その願いが裏切られるような天候の急変は、宮沢さんにとっては、「百に一つ」の出来事だったのです。それに比すれば、倒れてしまった稲が再び起き上がる奇蹟は、「十に一つ」の小奇蹟にすぎないものと、宮沢さんには感じられたものでした。しかし、その「十に一つ」の小奇蹟は起こらなかったのです。

 すなわち、「あらゆる辛苦の結果から/七月稲はよく分蘖し/豊かな秋を示してゐたが/この八月のなかばのうちに/十二の赤い朝焼けと/湿度九〇の六日を数へ/茎稈弱く徒長して/穂も出し花もつけながら/ついに昨日のはげしい雨に/次から次と倒れてしまひ/うへには雨のしぶきのなかに/とむらふやうなつめたい霧が/倒れた稲を被ってゐた」のです。そして、それら倒れた稲は、宮沢さんの祈り(願い)にもかかわらず、起きあがることはなかったのです。

 宮沢さんの心情は、祈り(願い)と希望から急速に絶望と、そして悲しみ・怒りへと変わっていくのです。その心象スケッチが、同じ日づけの作品で描かれていきます。それらの作品とは、「〔もうはたらくな〕」、「〔二時がこんなに暗いのは〕」、そして「〔何をやっても間に合はない〕」という一連の作品です。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン