シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

「〔もうはたらくな〕」(2)

 宮沢さんの父政次郎さんは、息子である賢治さんを傲慢であったと評していたと言われています。宮沢さんに興味をもち、宮沢さんに関する著書を読み、はじめてその指摘を目にしたとき、とても信じられませんでした。どのような意味で、政次郎さんは賢治さんのことを傲慢であると評したのか、とても気になったことを思いだします。そのときは、勝手に、もしかしたら高等教育を修めながら経済的に自立することなく、親のすねをかじりながら自分の好きなことに夢中になっていた姿をそのように評したのではないかと了解していました。

 ところが、いま、宮沢さんの1927年8月20日づけの一連の詩をどのように受け止めればよいかについて考えて行く中で、あらためて政次郎さんが賢治さんを傲慢であったと評した意味を考えてみようという気持ちになっています。それは、仮説ですが、宮沢さんは、自分は阿弥陀仏のように、すべての人の幸せを実現しなければならない、そしてそれを成し遂げる力をもった人物にならなければならない(または自分はそうした力をもった人物になれる)と、信じていたのではないかと感じます。そして、そのことを、父政次郎さんは傲慢であると評したのではないかと推測します。

 それだけ、1927年8月20日づけの一連の詩の作品群に描かれている宮沢さんの心情は激しく乱れ、狼狽の極みとなっていると思うのです。作品番号1090番の「〔何をやっても間に合わない〕」という作品にも宮沢さんの乱れ、狼狽している心情を感じるのです。

 この作品では、「ありふれた仲間」たちの、きっと凶作になった稲作を挽回しようとして様々な試みの姿に対する宮沢さんの心情が綴られています。「そのありふれた仲間のひとり/雑誌を読んで兎を飼って/巣箱もみんなじぶんでこさえ/木小屋ののきに二十ちかくもならべれば/その眼がみんなうるんで赤く/こっちの手からさヽげも喰へば/めじろみたいに啼きもする」

 「その〔約五字空白〕仲間ひとり/カタログをみてしるしをつけて/グラジオラスを郵便でとり/めうがばたけと椿のまへに/名札をつけて植え込めば/大きな花がぎらぎら咲いて/年寄りたちは勿体ながり/通りかヽりのみんなもほめる」

 「その〔約五字空白〕仲間ひとり/マッシュルームの胞子を買って/納屋をすっかり片付けて/小麦の藁で堆肥もつくり/寒暖計もぶらさげて/毎日水をそヽいでゐれば/まもなく白いシャムピニオンは/次から次と顔を出す」

 「〔約五字空白〕仲間ひとり/べっかうゴムの長靴もはき/オリーヴいろの縮みのシャツも買って着る/顔もあかるく髪もちヾれてうつくしく」

 これら描かれている「ありふれた」または「〔約五字空白〕」「仲間」たちの実にさまざまな試みは、冷雨によって次々と倒されてしまい、宮沢さんの願い・祈りむなしく起き上がることなく凶作となってしまった事態を何とか乗り越え、少しでも明るさを取り戻そうとする試みだったのでしょう。宮沢さんは、「野の師父」の中で、もし冷雨によって倒れてしまった稲が起き上がらなかったときには、「今年もまた暗い冬を再び迎へるのです」と著していました。しかし、稲はついに起き上がらなかったばかりか、「仲間」たちのさまざまな立ち直るための試みも、

 「そのかはりには/何をやっても間に合はない/何をやっても間に合はない/その〔約五字空白〕仲間ひとり/その〔約五字空白〕仲間ひとり」という宮沢さんの直面した事態に対するあせり、狼狽する心情を和らげるものとはならなかったのでしょう。それだけ、宮沢さんが直面した事態は、彼自身にとってショッキングな出来事だったのです。また、彼の傲慢な心を打ち砕くものだったに違いありません。

 ではそうした自分にとってショッキングな出来事を宮沢さんはどのように受け止めていこうとしたのでしょうか。ここで取り上げてきた詩集『春と修羅第三集』の作品に関係している補遺や「詩ノート」の作品と比較し、作品の中の表現変化に注目してその問いを考えていってみたいと思います。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン