シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

内ヶ崎作三郎さんの『人生学』(5)

 ここでは内ケ崎さんご自身が自称している自由主義の立場について参照しておくことにしたいと思います。それは、内ケ崎さんの自由主義的立場は実は宮沢さんの立場でもあったのではないかと感じるからです。その立場を、内ケ崎さんは自分の信仰との関係で次のように論じています。すなわち、

 「私は私の人生学(自由主義)の立場から、信者は造らない方針である。単に同志を求むるのであると。大抵の人は他人から命令されたり、または支配されたりする事は好まないものである。私もそうされるのが厭だから、人に対しても強ゆるのは厭である。唯私の抱負理想を人に分ち」〔( )内は引用者によるものです。〕たいのですと。

 この文章を読みながら、宮沢さんも本当の所は、内ケ崎さんが上述しているような意味での自由主義的心情のもちぬしではなかったかと感じてしまいました。しかし、宮沢さんが信じた法華経と師と仰ぐ日蓮さんは、法華経の教えをより多くの人に広めることが成仏するための唯一の道であることを説いていたのです。それは、宮沢さんの自由主義的な心情との大きな葛藤を生み出さずにはおかなかったのではないかと考えます。

 また、宮沢さんも単なる信者ではなく、「同志」を心から求めていたようです。そのことについては以前言及し、自分が信じていることに関する「同志」を求めながら、しかしえられないことで大きな孤独感を感じなければならなかったのです。その中で、自分はどのように生きてったらよいのか、宮沢さんの終生にわたる切実な問いだったのだなということを内ケ崎さんの自由主義についての議論を読みながらあらためて想起しました。

 さらに、内ケ崎さんの自由主義の立場に関する議論で興味を惹かれるのは、人づくりに関する考え方です。そのことに関して内ケ崎さんは次のように論じています。そしてそれは、先の引用文の中の「唯私の抱負理想を人に分ち」という文章につづく論述のものです。内ケ崎さんは言います、

 「多くの人々をして自然に伸びさせたい。太陽が光り輝いて万物をして美しく発達せしめるように、私は私の周囲の人々を圧迫せずして、のんびりと春のような気持ちで生長し、発達させたいのである。私は総ての人々を愛したい。人間ばかり愛するのではない。無情有情非情一切に対して同様な態度をとりたいと工夫する」のですと。

 この文章に示されている内ヶ崎さんの立場は、また宮沢さんの自分を取り巻いている世界への向き合い方そのものではないかと感じるのです。宮沢さんは、その向き合い方について自分は自由主義の立場であると自称してはいなかったのですが。ただ法華経を信仰するものとしてそうありたいという願いをさまざまな形で、とくに自分の作品の中で表現しようとしていたのではないかと思います。

 それにしても、つきなみの感想となりますが、非情のものに対しても愛そうという姿勢を表明している内ケ崎さんも実にすごい人だなと、ただただ感嘆するばかりです。宮沢さん以外にもそうした人が、しかも宮沢さんとほぼ同時代に生きていた人のなかにいたことに驚きを感じてもいます。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン