シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(2)

 ここでは三澤さんの風土思想とはいかなるものかについて確認しておきたいと思います。依拠するテキストは、『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 第3巻 風土産業』農山漁村文化協会、2008年です。

 この著作は、1936年中に、「地域の現場で産業おこし・地域振興をすすめる自治体関係者や地域リーダー、さらには農家など実際家に対する公演がもと」となっているものです。このテキストに依拠し、まず三澤さんが自然とどのように向き合おうとしていたかについて確認しておくことにしたいと思います。三澤さんは言います。

 「自然はまことに明らかな超人間的存在であります。大自然であります。確かに『神』であり、『大生命』であります。そう考えるよりほかにわれわれの立場がないのでございます。いやじつはそう考えてこそ初めてそこにわれわれの立場も立つのでございます。すなわち万物即神であるのであります。われわれ人間も、その人間固有の意欲を、きれいさっぱりとはらいのけ、すなおにその大自然に融合し、完全にその大自然の一部と化しさったときは、もちろん、その神となることができるのであります。すなわちそれが『即身成仏』なのであります。しかし、人間の人間たる悲しさ、なかなかそれは容易なことではないのでございます」。

 「しかしまた、考えようによっては、とうてい取り去ることができない意欲であり煩悩でありますものならば、そうして、その意欲をできるだけまっとうしようと考えるならば、思いきって、その自分を、その大自然の中に打ち込んで、大自然の懐へ入って、あるいはその大自然を背景として、さらに宗教上の言葉で申しますならば、神人合一の境地に立つことができますように、その意欲を整えることもその一法かと思われるのでございます。じじつ、今日の文明の利器として現れてきておりますその多くは、たとえば前にも引き合いに出しました、飛行機にしても、汽船にしても、海水や大気の惰性はもちろん、電気やガスの性質に順応し得た、その賜物であると考えるのが妥当だと思います」と。

 少々長い引用となってしまったのですが、宮沢さんの自然との向き合い方を考察していくために多くのヒントを示唆してくれる議論が展開されているのではないかと考えて引用させていただきました。宮沢さんもここで三澤さんが主張している「神人合一の境地に立」って自然と向き合おうとしていたとこれまで言われてきましたが、宮沢さんの場合、同時に、三澤さんが批判する自然を「征服」するという立場に立って自然と向き合ってきた側面もあるのではないかと感じます。とくに、当時の冷害による凶作や人々の窮乏化との闘いのためにそうした姿勢で自然に立ち向かおうとしていたのではないかと考えるのです。三澤さんの上記の引用の文章がそのことを気づかせてくれました。

 しかし、三澤さんは、上記の文章の前の部分で「征服」という立場で自然と向き合うそのあり方を次のように批判していたのです。

 とくに、「科学者以外の方がたの間には、不幸にして、その科学に対する認識の不徹底から『科学万能』というように考えておられる人たちが、またけっして少なくないようでございます。しかも、その科学なるものが、私ども人類の意欲を建設したものである結果、それがついには、『科学万能』というような思想を招来させまして、それに対して、さらにその人間の他の一方に、その人間の意欲を抜きにした大自然というものを、その対象として押し立てて、言い換えますと、その大自然と人間とを対立させまして、かつては、私ども人類の驚異の対象であり、いや、驚異のシンボルとさえ考えられておりました。その自然に対しまして、『自然征服』というような言葉を、いや、言葉だけならまだしも、そういった思想までももたれるようになってきておりますことは、否定できない事実でございます。昨今、かの新聞に雑誌あるいは大衆向きの、よく用いられております『征服』という言葉の乱用(?)は、まことにそれを実証いたしているかのように思われます。飛行機が空を飛んだというので『空中征服』、汽船が海を航(わた)ったというので『海洋征服』、夏の休暇にちょっとそこらの高い山へ登ってきたからといって、『山岳征服』、それも命からがら登ったり飛んだりしておりながら、そういった言葉が、しかもきわめてむぞうさに用いられるのが昨今の世相の特徴とさえ申したいほどであります。さいわい、ご当地の御嶽山(おんたけさん)は、今も昔もその霊山であることには変わりはございませんが、御嶽山だけでなく、あらゆるもろもろの山岳は、みな霊山であるはずであります。それへ登ってきたからといって『征服』してきたというような考え方はどう考えてみても浅ましい考え方としか受け取られなにのであります。なんという敬虔の念の乏しい考え方ではないかと痛感されてならないのであります」。

 「昨今、登山者の増加ということはもちろんでございましょうが、その敬虔の念の薄らいだということも、かの遭難者を頻発させる、その大きな原因とさえ私は考えているのであります」。

 再度、少々長い引用となってしまいました。というのも、三澤さんの上記の議論には、宮沢さんの自然との向き合い方を考えていく上で、多くの示唆を得ることができるものと考えられるからです。とくに、「人類の意欲」と自然の「征服」という向き合い方につながる科学万能主義との関係に関する議論は興味あるものです。

 すなわち、詩や童話の世界ではあれだけ自然と人間との合一的世界を描こうとしていた宮沢さんが、こと地域における冷害による凶作や、そのことによって生じる農民の人たちの飢饉など生活の窮乏化に立ち向かうために科学万能主義による自然征服の姿勢で自然と向き合ってしまっていたと感じるのです。それだけ、宮沢さんにとって地域の危機を救うことが自分自身を失わせるほどの「意欲(願望)」だったのだなと、あらためて感じさせられました。そのためには、自分が学んだものを活かしたい、または活かせるのではないかとも考えたのでしょう。(この問題は、今後、宮沢さんと三澤さんの自然観の違いとの関連でなおさらに探究しつづけていこうと思います。)

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン