シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

因果な関係性を乗り越えることはできるのでしょうか?

 ここまで社会学の目で、宮沢さんのいくつかの童話作品を見てきました。それは、宮沢さんの童話作品のほんの一部のものにすぎませんが、それでも、宮沢さんが、仏国土建設のためには人間と自然とが、心から交歓し、交流する関係性を築かねばならないと考えていたことが分かるのではないでしょうか。

 しかし、現実には人間と自然との関係は、ときとして非常に厳しく、闘争せざるをえない顔をのぞかせることもあるのです。そうしたときにでも、はたして人間と自然との間に心の交歓や交流ができるものなのでしょうか。そうした問いに応えようとしたのが、宮沢さんの「なめとこ山の熊」という作品ではなかったかと感じます。

 この作品をどう読んだらよいかということについて、再々度草山さんの解説を参照しておきたいと思います。なぜならば、この作品は人間の猟師と熊との間の命のやり取りを主題としている作品だからです。動物学者の草山さんがこの作品をどのように読もうとしているのに関心があります。

 「賢治さんは、人間は動物のいのちを食べて生きている動物だ、ということに生涯悩みました。二十二歳の時から、賢治さんは肉食を止め、徹底した菜食(さいしょく)主義を通しました。『生きていく』とはどういうことなのか。いのちあるものを殺さなきゃ生きていけない人間の悲しさ。その悲しさを動物たちと共有することによって、広々とした明るい慈悲(じひ)の世界が開かれるだろう。この童話は、そのことを熊を殺さなければ生きていけない猟師(りょうし)の小十郎と、殺される側の熊を対象に見事に描(えが)ききった名作です。」と草山さんは解説しています。

 「いのちあるものをころさなきゃ生きていけない人間の悲しさ」を殺される側の動物たちが共有するとは何とすごいことでしょうか。それこそ、究極の心のコミュニケーションなのではないでしょうか。

 この「なめとこ山の熊」という作品に関しては、猟師の小十郎さんの人情の美しさや聖性に焦点があてられてきたように思います。しかし、コミュニケーション論という視点で読もうとすると、むしろ既成の発想から言えば自然に属していると見られる熊が人間(実は人間も熊と同じに自然に属しているのですが)の心に共感していることを宮沢さんが描こうとしていることに驚きます。

 それだけではありません。この作品の中では、熊たちは死骸となってしまった小十郎さんを祭壇にまつり、小十郎さんの死を悼み、祈りをささげる行動までとっているのです。イーハトヴの世界に行き渡っている精神世界にただ感嘆するばかりです。その場面を、宮沢さんは次のように描写しています。

 「その栗(くり)の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに、黒い大きなものがたくさん輪になって集まって、おのおの雪の黒い影を置き、回回教徒(ふいふいきようと)の祈るときのように、じっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見ると、いちばん高いところに小十郎の死骸(しがい)が半分すわったようになって置かれていた。」というようにです。

 この描写は自然のもつ精神性の美しさと聖性の描写です。そして、自然の一部である人間も、またそうした自然が精神性のもつ美しさと聖性を示すことがあります。草山さんは、その例として、アイヌの方々のイヨマンテの儀式をあげています。その草山さんの解説を、目を凝らし、感情を込めて読んでおきたいと思います。

 「アイヌ人は熊に感謝して、熊の霊を天国に帰すために熊の死骸を囲んで祭りをします。この作品が描いた情景は、熊が小十郎の霊を天国に送る〝人送り〟の儀式なのです。熊は自分を殺す猟師を畏敬(いけい)し、愛をこめて小十郎の霊を天国へ送ったのです。」草山さんの解説です。

 ここでいよいよこの回の主題である問いに答えてみましょう。そのために、この作品で狩りによって殺してしまった熊に小十郎さんが語りかけるセリフを参照しておきましょう。小十郎さんは次のように語りかけています。

 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえを射(う)たなけあならねえ。ほかの罪のねえ仕事してまんだが畑はなし、木はお上(かみ)のものにきまったし、里へ出てもだれも相手にしねぇ。しかたなしに猟師なんぞしているんだ。てめえも熊(くま)に生まれたが因果なら、おれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞにうまれるなよ。」というようにです。

 この小十郎さんのセリフの中に宮沢さんの先の問いに対する答えがあります。すなわち、因果の関係性を乗り越えることはできないというのが宮沢さんの答えです。しかし、宮沢さんは、殺し殺されるような因果な関係にあるもの同士でも、心の交歓、交流を行うことができると考えていたのです。しかも、そこにある意味で究極の自然がもつ美しさと聖性、すなわち仏性があるとも考えていたのではないでしょうか。しかし、いつでもだれにでも常にその美しさと聖性が現れるというのではないのですが。

 宮沢さんは、自然とともに生活し、歩んできた岩手県の人々には小十郎さんのようにおのずから自然がもつ美しさと聖性が宿っていると見ていたのではないでしょうか。しかし、同時に、その自然から離れ、そろばん勘定だけの世界にどっぷり浸かって生活している町の商人には、そうした仏性が失われてしまっていることもこの作品は暗示しているように感じます。

 だからこそ、宮沢さんは、童話を創作し、岩手県の次世代を担う子どもたちや少年・少女たちには自然の風が運んでくれる〝すきとおった〟食べものを食べて育ってほしいと願ったのではないでしょうか。そんな気がします。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン