シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

岩手県民の生活文化のはじまり、はじまり

 宮沢さんは、人間をとりまく自然は、人間に関心をもち、できれば仲良くなりたい、人間たちに自分の存在に気をつかい、できればかまってほしいという願いをもっている存在であると考えていたように感じます。

 またそうした自然のもっている気持ちや願いを分かり、それに応じた行動をとることで自然との良好な関係性を築くことができるとも考えていたのではないかと推測します。そうした自然との関係性の中に人間の気持ち、すなわち人情の美しさと聖性が示されているとも考えていたのではないでしょうか。

 自然界にも心情があり、人間界にはその自然界と対話し、自然界の心情を理解することのできるコミュニケーション力をもった人たちが居るものと宮沢さんは考えていたのではないかと感じます。とくに、イーハトヴの住民たちにはそうした自然とのコミュニケーション力をもっている人たちが多く居るのでしょう。

 「鹿踊(ししおど)りのはじまり」という作品の主人公である嘉十さんもそうした住民の一人だったのでしょう。あるすすき野原の風が、そこに寝入ってしまった宮沢さんに、「北上(きたかみ)のほうや、野原に行なわれていた鹿踊(ししおど)りの、ほんとうの精神を語」った物語です。

 この物語の主人公は、「おじいさんたちと北上川の東から移って来て、小さな畑を開いて、粟(あわ)や稗(ひえ)をつくって」いる嘉十(かじゆう)さんです。ときは、栗の木から落ちてけがをした傷をいやすための湯治からの帰り道のことです。

 その帰り道、嘉十さんは草の上で栃と粟のだんごを食べます。そしてその残りの栃の団子を「鹿さ呉(け)でやべか」と思い、「白い花の下に置き」帰途につきます。そのとき団子のそばに手ぬぐいを忘れていることに気づきます。

 そこで引き返してみると、鹿の気配がしたのです。すすきの陰から見てみると、「鹿が少なくても五六匹」います。嘉十さんはよろこんでそれらの鹿たちの動きに見とれていたのです。

 鹿たちは輪になり、しきりに嘉十さんが残していったものを気にかけている様子です。「鹿どものしきりに気にかけているのは決して団子ではなくて、そのとなりの草の上にくの字になって、落ちている、嘉十の白いてぬぐいらしいのでした」。

 鹿たちは嘉十さんが忘れていった白い手ぬぐいが自分たちにとってどんなものか検見していたのです。その様子をすすきの陰から見守っていたそのとき、嘉十さんは突如鹿たちのことばが理解できるようになるのです。その瞬間のことを宮沢さんは次のように描写しています。

 「嘉十はにわかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるえました。鹿どもの風にゆれる草穂(くさぼ)のような気持が、波になって伝わってきたのでした。」

 「嘉十はほんとうに自分の耳を疑いました。それは鹿のことばが聞こえて来たからです。」

 イーハトヴの世界では、ときとして、そして自然に関心をもち、自然と仲良くなりたいという気持ちをもつ人には、自然の発することばと気持ちが伝わり、理解できるようになるという出来事が起こる世界なのでしょう。そして、そうした人間と自然とのコミュニケーションが行われ、お互いの関係性が構築されていくような空間世界を宮沢さんは夢見ていたのではないかと思います。

 そこには、イーハトヴとしての岩手の地とはそうした世界であったはずだし、これからもそうであってほしいと宮沢さんは願ったのでしょう。しかし、この作品では、自然のほうがそう簡単には人間を受け入れるものではないということが示されることになります。それが、この作品が「狼森と笊森、盗森」という作品との違いになっているのではないかと思います。

 鹿たちは手ぬぐいが自分たちにとって危険なものではないことを知ると、嘉十さんが置いていった団子を食べ、輪になってぐるぐる回りながら踊り歌いだしていくのです。その様子に興奮した嘉十さんは、自分と鹿との違いを忘れ、あたかも自分が鹿になったような気持になりすすきの陰から飛び出し踊りの輪の中に加わろうとしたときのことです。

 「鹿は驚いて一度に竿(さお)のように立ちあがり、それからはやてに吹かれた木の葉のように、からだを斜めにして逃げて行」ったのです。自然はそう簡単には人間を仲間として快く受け入れてくれはしないものなのでしょう。しかし、それでもなお、イーハトヴとしての岩手の地の生活文化は、自然との心の交感から受け取ったものなのです。

 でもなお一つの疑問が残ります。ではこの物語の冒頭の中で言われていた「鹿踊りの、ほんとうの精神」とは何であるのかというのがそれです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン