シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

岩手県社会のはじまり、はじまり(2)

 森たちの許しを得て自分たちの社会づくりをはじめるという物語を、草山万兎さんは次のように絶賛します。

 「この人と自然の関係についての賢治さんの思想が、これほど鮮やかに浮かびでてくる場面は、ほかにそうありません。そして、今高度な文明世界に生きている私たちが、もっとも学ばなければならない根本的な思想を、この数行の文章から学ばねばならないと思います」。

 「この人と森との一連のかりとりを読んで、私の胸は高鳴り、熱いものが体中を駆けめぐりました。なんという感動的な場面でしょう」。

 「自然を征服するといった傲慢な気持ちは少しもなく、人は自然の恵みによって生きているのだ、というすなおな姿をみることができます」(草山万兎『宮沢賢治の心を読む(Ⅱ)』童話屋)というようにです。

 そうした評価も生まれる宮沢さんのこの作品は、北海道の猿払村のホタテの栽培漁業誕生物語を彷彿とさせてくれます。猿払村では、かつて漁業資源が枯渇するまで海の生産物を獲りつくしてしまったことがあります。そのために魚のにおいが全くしない豊かさを失った海となってしまったと言います。海が豊かさを失っただけでなく、漁村それ自体も消滅の危機に陥ったのです。

 その危機を漁協と自治体が共同して乗り越えていきます。ホタテの稚貝購入資金を村役場が出し、漁協がそれをオホーツクの海にまき、栽培する漁業に転換していったのです。あるテレビ番組でその物語が紹介されたとき、当時の漁業組合長の方が、「海の神様の許しを得て稚貝をまき、豊かさを取り戻すことができました」と話されていたと記憶しています。

 猿払村では、その物語の教訓をオホーツク海に面する猿払海岸の「いさりの碑」の石碑に刻み後世の村人たちに残しているとも紹介されていました。正確ではありませんが、その石碑には、「人間は神々と力を競うべきではない。人間は自然の摂理に従うべきだ。」と記されているとのことです。

 宮沢さんの作品でも百姓たちは森たちの許しを得て自分たちの社会づくりを開始しますが、その後彼らは常に森たちとの共存共栄の良好な関係性をたもち順調な歩を刻んでいったわけではなかったのです。

 最初百姓たちを受け入れてくれた森と森に先住していたものたちとの間にさまざまな葛藤的なやり取りを経験しながら社会づくりの道を進んでいくことになります。まず「小さな四人」の子供たちが狼にさらわれてしまうという出来事が起きます。

 百姓たち「みんなはまるで、気違いのようになって、その辺をあちこちさがし」、狼たちと四人の子どもたちが火を囲んでうたげしているところを発見するのです。

 この宮沢さんの作品で面白いところはここにあります。すなわち、狼たちは百姓の子どもたちを楽しませることで自分たちの存在を知らせ、百姓たちと仲良い関係性を築きたいのだという気持ちのあることを覚ってもらおうとしていることです。

 百姓たちは狼たちのその気持ちを覚り、「みんなはうちに帰ってから粟餅(あわもち)をこしらえてお礼に狼森(オノノもり)へ置いて来ました。」とさ。

 次に、山刀、三本鍬、唐鍬などの農機具がなくなるという出来事が起こります。百姓たちはあちこち探し、結局笊森で大きな笊の下から「なくなった農具が九つとも」見つけ出すことになります。

 このとき、それだけでなく、「黄金色(きんいろ)の目をした、顔のまっかな山男」がおり、自分も粟餅が欲しかったことを百姓たちに告げるのです。「みんなはあっあっはと笑って、うちに帰」り、今度は粟餅を狼森だけでなく、笊森にもとどけるのでした。

 さらに、次の年の「霜の一面に置いた朝」に、「やっぱり不思議なことが起こりま」す。「納屋のなかの栗が、みんななくなってい」たのです。今度も百姓たちは、狼森、笊森、黒坂森、そして黒坂森のさらに北の森まで消えてしまった栗を捜索するのです。そして、最後の森で、「まっくろな手の長い大きな大きな男」と出会います。

 百姓たちはこの大男が栗を盗んだに違いないと迫りますが、大男は白を切りとおそうとするのです。百姓たちもこわくなり逃げ帰ろうとしますが、それにまったをかけたのが、「銀の冠をかぶった岩手山(いわてやま)」です。

 岩手山は百姓たちに明日までに盗森に栗を返させることを約束し、事実次の日に栗は返っていたのです。そこで百姓たち「みんなは、笑って粟餅をこしらえて、四つの森に持って行」ったのです。とくに、盗森には一番多くもっていきます。

 「さてそれから森もすっかりみんなの友だちでした。そして毎年、冬のはじめにはきっと粟餅をもらいました」とさ。

 ここまでたどってきたように、宮沢さんのこの作品は、岩手山ろくの三つの森の名前の由来をめぐる物語です。そしてこの物語の面白いところは、人間だけでなく、むしろ自然の方が人間たちの暮らしに興味をもち、仲良くなりたい、または自分の存在を知ってもらいかまってほしいという気持ちをもっているというところです。

 人間である百姓たちもまた、自然との関係性に気をつかい、草山さん言っているように、自分たちは自然によって生かされているということに感謝の念をもっているだけでなく、人間たちと仲良くなりたいという自然の気持ちを理解し、その気持ちに応じる行動をとっているのです。まさしくそれは社会学で言う感情コミュニケーション行為です。

 宮沢さんはそうした人間と自然との関係性の中に、イーハトヴ世界を創造している岩手県民の人情の美しさと聖性があるのではないかというメッセージを伝えようとしているのではないかと思います。

 まさしく岩手県社会は、確かにそうした美しさと聖性をおびた人情のもちぬしである百姓たちによる自然との対話を通しての社会づくりに端を発しっているのでしょう。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン